Facebookで鍵山先生の言葉を見つけた。
私も、いつの頃からか。鍵山先生とご縁がうまれ、会社を辞めて(経済優先のそれまでから)大きな変化があった。
数字が突きつけられる会社経営。業績があがるほどストレスもあがった。散髪に行ったら円形脱毛を理髪師から何度も「お疲れですね」と同情された。とにかく利益をあげなければならない。周囲の人が困っておられても、それを受けとるアンテナがなかった。つまり自分がよければよい世界に生きていた。
鍵山先生が私を「あだち君」と呼ばれたことはない「さん」そのご縁のなかで上下の関係で生きることではない。
たびたび「農園の生活は順調ですか」と励ましていただいた。
そのなかで周囲の人が困っていることを知ったら、私ができる精一杯のことをしたいと思うようになった。
今朝は農園からほど近い小野地域の横坂神社を会場にお掃除の会が催された。
宮司が境内地の青銅の牛を「この牛は、戦時下の供出命令のとき地域で隠した」と言われた。そのことが発覚したら非国民としてとがめを受けること。
つまり、この牛を奉納した理由は地域にとって命をかけてもよいほどの意味があったにちがいない。
午後から山口市内に買い物。
母の5年祭が金光教太秦教会の霊祭にあわせて仕えられる。けれどもこの時期に京都往復にはためらいがあり(私の考えでは双方に)参拝は遥拝にした。そのお供え物を家内と買いに行った。青果は水曜日に、きょうは乾物などを選らんだ。
⏹️あだち美術館
私のカメラ作品を3点更新しました。
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