読後の余韻は長かった

夜中2時すぎ、屋根をたたく雨音で目が覚めた。

炎天下、鶏舎の屋根に散水。桜並木に散水。井戸水の水位をあげるため川の水を揚げ続けた。雑草までもが雨のない灼熱続きで茶色く変色した。

高齢のせいかもわからないが、これほど暑い夏場を経験したのは人生はじめて。


昼まで散髪と血圧検診。

血圧計で朝測って120・70。お昼に測って130・75。検診で女医さんが測ると150・90。私の身体は正直者。


待合室で「流れる星は生きている」を開いた。38度線を子供3人と徒歩で越えアメリカ軍のトラックに救われた。難民収容キャンプで食料と医療を受けることができた。

親子の足の裏には無数の石ころが食い込んでおり手術で摘出。その足で過酷な山越えをいくつも重ねた。

白骨街道と呼ばれるインパール作戦撤退。飢餓と風土病で次々と兵士たちは動けなくなり手榴弾自決で苦しまずに死ぬ道を選んだ人は多かったと聞いている。


満州から子供3人と釜山港で、途中で生きていることより死んだほうが楽という記述はどこにもなかった。歯を食いしばって、子供を叱るときは男言葉になって歩かせた。

郷里の信州諏訪にもどりたい、新京で別れた夫と再会したい。その強い精神力が道中で物乞いまでもをさせた。

釜山まで着いたところで診察室に呼ばれた。


診察室を出て、支払いを済ませ6週間分の薬を受け取って待合室の椅子に座った。静かな場所で読書する私が、待合室の話し声やテレビの音声のなかでページをめくった。

釜山から博多港。そして列車に揺られて諏訪駅に降り立ち、そこで一年と数ヶ月ぶりに鏡に映った自分の姿に驚いた。


ラジオ番組「私の本棚」で新田次郎「雪のチングルマ」の朗読を聴いて新田次郎の山岳小説を読み始めた。その頂点は「芙蓉の人」だった。

プロジェクトXの初回は富士山山頂にレーダードームを建設する名もなき男たちのドラマだった。その陣頭指揮は気象庁の藤原。新京の観測勤務をしていた。退官後に小説家の新田次郎。その妻が「流れる星は生きている」の藤原てい。


待合室で読後の余韻にひたった。


長府の藤中さん情報。

きのう救急車で搬送され救命治療を受けている。水曜日に藤中さんと会話をかわした。交通事故に遭われて保険会社の人が来ていた「どうもない」と廃車になった原付バイクを「新車の中古車にしなければ」とわからない日本語だった。そのあと救急車。


私と同輩。お互いに昔話はしない「今をどう生きているか」を冗談まじりで真剣に話ができる。

近しい人に近況を尋ねたら。事故のことではなく肺に水がたまっており、面会はできないとのことを知った。


視界がよくない海峡も風情がある。

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コメント: 2
  • #1

    神田英子 (金曜日, 11 9月 2020 22:05)

    藤中さん大丈夫でしょうか・・・心配です。
    あの本を昨日友達に貸したら「面白かった。一気に読んだよ」と、もう持ってきました。

    Tシャツの話もしたら2000円もってきたので婦人ものLサイズ2枚お願いしますね。

  • #2

    神田英子 (土曜日, 12 9月 2020 11:31)

    もう一枚婦人ものLサイズ追加です。
    全部で3枚です。