流れる星は生きている

今朝6時半の唐戸魚市場界わい。

ユメカサゴかノドグロ、なければアジか大阪湾のコイワシを探したがハズレた。

アンコウひと山が目にとまった。兄ちゃんが「唐揚げ最高!」と笑顔で寄ってきたので買った。別の店に大きなカマスがあった「塩焼きですね」と誘われて買った。


家内に買い物を伝えた。最近スマホを使いはじめている(電話はガラ携のまま)アンコウとカマス料理を検索するだろう。


流れる星は生きている(藤原てい著)に私は導かれている。

藤原家族が生活した新京。その新京から引き揚げてこられたたまごのお客さま。


きょうは30分、当時のことを聞かせてもらえた。

お父さんの仕事は農業指導だった。夫婦で赴任先の朝鮮で昭和10年に長女で生をうけた。

その後、新京に移動を命じられ東拓なんとかという会社に在籍した。兄弟が三人になった。


新京駅に家族で行ったのは、大事なラジオ放送があるということだった。その放送の意味は小学2年生だった私にはわからなかったが玉音放送。


なにも不足のない生活が終わった。新京駅から屋根のない貨物列車に乗せられ2日大陸を走った。朝鮮の「ころ」なんとかという港。そこから博多港。


その貨物に乗れるまでは1年かかった。収入はないので家財を売りながら飢えをしのんだ。赤い穀物だったのでコーリャンと思う。それを蒸して家族5人がわけあって生きることができた。


けれども小林千登勢(女優)さんや五木寛之さんの引き揚げに比べたら、私の家族はよかったと思いますよと。

五木寛之さんの壮絶な引き揚げ体験は県セミナーパークで拝聴した。

小林千登勢さんは、星をよみながら徒歩で38度線を越えられたと教えてもらった。

検索したら著書「お星さまのレール」を知った。

藤原ていさんも小林千登勢さん「星」だった。


漫画家「ちばてつや」さんは、満州で敗戦を幼少でむかえた。家族が地域の人のお世話をしていたので危害がおよばないように懇意な中国人がアンネフランクリンのように屋根裏部屋を提供してくれた。

そこで退屈をもて余す弟に漫画を描いていた。

それを話したら「足立さんの引き揚げはなんですか」と直球で問われた。それにはこたえる言葉が見つからなかった。


シングルマザーの母が中国語が堪能だった。その過去を聞いても「忘れた」とシラをきって終えた96年の人生も波乱万丈だったのかもわからない。

青島の海がきれいだった、大連の砂糖はよかったとは聞いた。