残暑。疲れている私にはこたえた。

きのう菊川画廊探訪。

私の心に残っていること「言葉や文字では伝えきれない。それを重ねるほど真実から遠ざかる」というようなことを画廊のあるじが語った。


横路にそれるが最近、若者言葉についていけない「むちゃくちゃおいしかった」「めっちゃ楽しかった」この言葉の中身がわからないまま共感した素振りのお付き合い。老人と言われたら返す言葉はないが、わたしには意味不明で共感したいがそれが出来ない。


45歳のとき徒歩の旅をした。宮崎駅から延岡を経て高千穂。阿蘇外輪山の頂きにたって内牧を眼下にした。涙がこぼれてとまらなかったあの感動を、文字や言葉や写真で伝えることは悲しいが悔しいが私にはできない。


著名な芸術作品を多くの人が言葉や文字にしているが、それがすべてを表しているわけではない。

つまりは、私が向き合った作品との対話でうまれた言葉には伝えきれない感動がある。それでよいと思えた。伝えなくてもよい。


言葉や文字で伝えられる限界を画廊で教わった。


新田次郎「芙蓉の人」と出会ったことは、私の人生の指針になった。けれども、それが映像作品となったとき芙蓉の人ではないと感じた。

書籍の文字からイメージした野中夫妻を著名な役者が演じても私は満足できなかった。あの偉業を活字で伝えた。そのあと映像で伝えようとした。そこに限界があるように思えた。


画廊のブロンズ像。

なにを伝えるために、なにを省略するのか。

とても美人の顔があったら伝えられない表現したい世界がある。


いつも画廊探訪に参加の松原酒店(最近は、ホタテマンからベクトルと松原改名)

菊川さんから「お酒を伝えることやさしいことではありませんね」とも言われた。


作品展を訪れたら、お金はいらないからどの作品でも一点お持ち帰りくださいと言われた。その心境で作品のなかから一点を探してみると作品と向き合うことができるとも教えていただいた。


美味しい料理、一緒に観てほしい風景。

伝えたい人には、黙ってそこに手をひいて味わってもらう。

男は黙ってなんやらビール。