8月15日 私が思ったこと

早朝、萩市菊ヶ浜。


8月15日。昨夜の高橋源一郎「飛ぶ教室」

⏹️高橋源一郎と読む戦争の向こう側2020

ひとコマ目は「引き揚げ経験者が見ていた戦争とは」

ふたコマ目は「引き揚げ者の故郷はどこにある」

2時間の拡大番組で昨夜ラジオ放送された。それを聴き逃しサービスアプリでしっかり聴いた。


ご縁で、新保さんと矢野さんを美祢市観光(神功皇后神社・白虎隊士飯森貞吉が養育された跡・戦時中、海軍御用達の無煙炭を供出した麦川の跡地・厚保駅地域交流ステーション・よしの・加奈ちゃんパンなど)ご案内した。

道中、なにかのはずみで新田次郎「芙蓉の人」が車内の話題になった。矢野さんは富士山8号目山小屋で働いていたと知った。

新田次郎の奥さまは、藤原ていだと言うと矢野さんは一瞬驚かれた。後日、お礼のお手紙を頂戴した内容に、藤原てい「流れる星は生きている」を読みましたと書かれていた。


ひとコマ目はその藤原てい「流れる星は生きている」を高橋源一郎先生が読みとかれた。

新田次郎はほぼ読んでいるが、藤原ていは知らなかった。

夫、藤原寛人(新田次郎)と哈爾浜(ハルビン市)から筆舌にあらわせない困難をこえて日本帰還。

途中、飢えで失くなった子供の側で泣いている母親と遭遇。彼女は子供を埋めて母親の手を引いて38度線に向かう日本人の群れを追いかけた。けれども母親は「わたしは子供と死にたい」と後戻りをした。それを止めることより、自分が生きることが精一杯だった。


⏹️敗戦を事前に、察知した関東軍は住民を置き去りにして列車で満州から逃げた。


五木寛之さん。山口セミナーパークの講演でマンドリン(機関銃)を手にしたソ連兵が母親を強姦する現場にいた。

漫画家のちばてつやさんは、アンネフランクリンのように中国人の屋根裏に隠れて1年ぐらい生活した。弟を屋根裏部屋で静かに遊ばせるために漫画を描いた。

満州から引き揚げる(逃げる)とき「団」という組織がつくられ行動した。団が目的を遂げるためにソ連兵に女性を出した。⏹️


⏹️は、私の認識の満州。


藤原てい。新田次郎が「飛ぶ教室」で重なった。流れる星を読まねばならない。


ふたコマ目「引き揚げ者の故郷はどこにある」

美祢市から農園の近道ルート「藤ヶ瀬峠」がある。ここに戦後、満州から引き揚げた人たちが開拓団として移り住んだと言われる場所がある(真相は定かではない)

 

満蒙開拓から生還されたお二人を知っている。

小野田の方は、学校で満州の授業を受けて「行きたい」と少年義勇隊に志願された。

福岡県矢部村の三男坊の三雄さんは、長男が継ぐ家をあきらめ新天地を満州に求めた。集団見合いで内地からきた奥さまと所帯を持った。産婆さんはいなかったので出産は主人がやった。引き揚げの逃避行で子供は死んだと話された。


内地で銃後の護りに就いた国民からみると、満州や朝鮮に新天地を求めた者は、どれだけ苦労して帰国しても「知らない」という差別があったのではなかろうかと高橋源一郎先生、ふたコマ目を結ばれた。


いまだに多くの戦没者ご遺骨が野ざらしにされている沖縄県。20年、ご遺骨収集奉仕に参加した。

慶州ナザレ園(日本人女性を保護している)に14回訪問団を結成して通った。


日本政府と沖縄県・日本政府と韓国政府。

たくさん解決の糸口があるように私は思う。