今村明さんの思い出

きのうブログに女傑さんがコメントを寄せてくださった。

お返事をブログでさせていただいた。


今村さんお通夜に参列した。野球人生だったことが各球団からの花輪であらためてわかった(育てた部員それぞれにプロ野球人生)

棺の今村さんは専修大学野球部ユニホームだった。


野球部で頑張ってもプロになれる者は少ない。幼いころから勉強より野球をやってきた部員たちが、プロになれなかったとき就職先で恥をかかないように漢字や計算の勉強を練習後のお互いに疲れ果てた時間にやった。


いよいよ部員たちが社会に出ていく就職活動。会社訪問して面接など根まわし(アピール)は必要だった。朝から夜遅くまで監督は企業訪問した。

夜中に合宿所に戻ったら部員たちは賑やかにご法度のマージャンに興じていた。

全員を外に連れ出しひとり3回のケツバット。今村監督渾身のバットで歩行困難。骨折はしないように叩いた。

翌朝、まだ暗い時間に部員全員が頭をまるめて自宅前に勢揃いした。


ある朝、今村さんの畑で話に花を咲かせていたら中学生が横を走った「おい!」と今村さんは声をかけて止まらせた。短いやりとりで学生は野球部ピッチャーとわかった。今村さんは学生の前にしゃがんで靴底を見た。

そこらから投球フォームなど指導され終わったら「早よ行け!」と。


4月8日。催した「萩市浜崎を歩く」を「少し具合が良くないから」と欠席のご返事「農園まで来てください。あとはおまかせください」と今村さんを連れ出した。末期とは本人も私も知らなかった。

浜崎を歩いてめぐるときの表情が気になった。参加者みなさんと別れて昼食に誘った。頼んだ天婦羅が食べられなかった。


15日の夕方、今村夫妻が農園に突然来られた。美智子さんが「肝臓がんでした」と言われた。それも末期だと。


短いお付き合いだったが「人として」「男として」の生き方をたくさん教わった。


上の写真は下関「ふく宴会」下はかるた競技会でのご夫妻。