昨夜の訃報

21時に自動OFF、4時に自動ONに携帯電話をセットしている。

夜9時半に家内からのラインメールが知らせたのは母の一番下の妹(兵庫県)が亡くなったの訃報。享年87歳。長女の母と10歳以上も歳が離れている。


私が幼いときの記憶。母の実家(出雲)には寝たきりのお爺さんが暗い部屋で寝ていた。弟夫婦がその世話をしていたように思う。

9人兄妹の母は長女。貧しい家庭を支えるために松江の商家に奉公に出された。少しのあいだ鶴子(亡くなった妹)の子守りをしたことはある。


つまり、姉妹は共に遊んだこともない関係の姉妹。

96歳までの長寿だった母。あいだの兄妹はすべて亡くなりその妹が唯一の血縁関係だった。

生前、母は「私の葬式は家族だけでやってくれ。鶴子も高齢だから、知らせて来させたくはない。葬式が終わって落ち着いたころ知らせてくれたらよい」


今年は母の5年祭(金光教では節の年)

母の両親や兄妹の名前も知らない。実家の生計はどうなっていたのかなどを聞けるのは鶴子おばさんだけ。それを知ったうえでの5年祭をむかえたいと思っていた。それは叶わなかった。


母が私の父親のことを一言も話さなかった。

鶴子おばさんに10年ぐらい前に会いに行った。それが最後になった。

その後、電話で話してくれたことは母が語らなかった私の父親のこと。

「すすむ、あなたの父親はとても立派な人だった。私が幼いとき何度も家に来てくれて病床の父親を見舞ってくれた。それは丁寧な文字で書かれた封書(現金入り)が父親宛に届いていた。

獣医だったので牛肉が手にはいりやすかったかもわからないが、駅に大きな箱が届いた夜はすき焼きだった。家に来るときはネクタイ姿で帽子をかぶっていた。家族が、あんたの父親にとてもお世話になった」と。


もう、母の実家のことを聴く人はどこにもいなくなった。


写真は萩市浜崎のネコ。ここ浜崎と下関市唐戸界隈は野良ネコが多い。


川土手の草刈りをはじめた。4時間できれいになる。

午後から2時間しっかり汗をかいた。しっかり汗をかくとベルトの腰まわりにアセモができる。今年もそれが痒くてつらい。


昨夜、高橋源一郎先生「飛ぶ教室」私には衝撃的な内容だった。

「黒人」はアメリカで生きている。アフリカでは「ケニア人」など国籍でよばれる。

奴隷制度のアメリカ。黒人が黒人を殺して裁判になっても無罪「モノ」が「モノ」を殺しても罪にはならなかった。


関心ある方は「聞き逃し」でどうぞ。


萩市浜崎の顔役から今朝にらまれた。