源ちゃん先生とても学べる

高橋源一郎先生著「誰にも相談できませんみんなのなやみぼくのこたえ」木曜日のお客さまにプレゼントした。

きょう、ある人から高橋源一郎先生著「読む」ってどんなこと 新刊を頂戴した。


土曜日、5時半に萩に出るとき昨夜のNHKラジオ 高橋源一郎の飛ぶ教室を「聴き逃し」で再生してから出発する。萩に着くころ番組は終わる。


私の聴きどころは番組冒頭、いわゆる「つかみ」の2~3分を語る先生の語りがとても勉強になり深く考えることができる。


今朝は新聞人生相談コラムに届いた悩み相談をテーマにされた。

老境をお一人様でむかえている妹を我が家で生活するよう言った。経済的に不足はなく穏やかな家庭で同居人となった妹。しばらくして「こんな家にはおれない」と出た。どこに落ち度があったのかというお悩み。


高橋先生が幼少のころ、父親が何度も事業に失敗して父方と母方の実家で寝起きすることがあった。

母方の実家は商売をしており、使用人と家族は折り目正しい生活。居候にも部屋が与えられた。


一方、父方の実家は貧乏で親戚など同居人もおり雑然とした生活だった。ある夜、高橋少年は冷蔵庫をこっそりあけてアイスクリームを食べようとしたら、隣の部屋からおばさんが「私にも頂戴」と声をかけた。


母方の家で冷蔵庫をあけようと思ったことは一度もなかった。


母子家庭だった私は近所の家庭で育てられた。小学校にあがる前は琴芝の下町だった。タケヒゴをたくさん使って洗い張りの仕事・布団の綿を打ち直す仕事・植木職人・大工職人などの家を我が家のように出入りして育った。

私が居心地がよかったのは、母が一番嫌った綿の打ち直しの家。綿まみれになってその家の子供たちと遊ぶので「あの家には行くな」と言われても楽しいから通った。


きちんとした家柄の植木職人さんの家は窮屈だった。


大工夫婦には子供がなかった。私を我が子のようにしてくれた。ばあちゃんは、じいちゃんがこしらえた四角の火鉢(木の枠にブリキを張って灰を入れた)の前でキセルを叩いてギザミ煙草を楽しむ人だった。

本を持っていって読んでもらおうとしたとき、ばあちゃんは字が読めないことがわかった。


母は実の親ぐらいに親しくした。

小学校の高学年のとき母と大喧嘩をして家を飛び出した。行くあてはない。4時間ぐらい歩いてばあちゃんの家に着いたのは夜だった「すっちゃん泊まって帰れ」とむかえてくれた。あの夜、じいちゃんは自転車で母に「心配するな」と行ったと思う。


高橋先生のお悩み相談から、私の昔がよみがえった。


きのう通院は家内の車。駐車場から傘をさした。帰るとき雨があがり傘を玄関に忘れて農園に戻った。

お腹はすいていたお昼だったが「忘れ物を取りに行く」と家内に言ったら「あの傘はずいぶん使ったので」と止めてくれた。おかげで昼ごはんにビールのお供になって昼寝もした。


けれども傘一本が「ええんか」と囁く心のトゲになった。

忘れ物。取りにいけないほど遠くではない。片道30分を走らなかったのは家内の言葉とビールの誘惑。

さらに、取りに行かないことは相手に迷惑(捨てた)をかけることになる。


きょう萩市から長門市、美祢市に山口市を走り終えて農園に戻らず傘を取りに行った。待っていた傘が喜んでいるように思えた。


今朝7時。雨上がり、萩市の橋本川。玉江を背にして撮った。

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コメント: 3
  • #1

    下関の女傑 (土曜日, 11 7月 2020 16:57)

    親子、夫婦、友人、知人、連なって生ききる・・・感慨深く読み進みました。傘も待っててよかった♪

  • #2

    あだち です (土曜日, 11 7月 2020 19:09)

    女傑さま こんばんは
    この歳になり育ててもらったことに想いを馳せています。けれども、私はそれができたか。
    寅雄先生は多くの人を育てあげられた風格でした。

  • #3

    藤野貴之 (日曜日, 12 7月 2020 04:15)

    書物を読むこと、人の話を聞くことは、そこにある知識を得ることが目的ではなく、自分の中にある「何か」の扉を開ける「カギ」になりますね。
    外の「いいもの」を欲しがる世相が、内にある「大切なもの」を見えなくしていると感じています。
    傘が気になる感性は素敵ですね。