小野田市のお宝にお会いできた

とても弾んだ気持ちで朝をむかえた。


清水千代美さんを「下関の女傑」と私は呼んでいる。女子バスケ現役のころ有名人。スペシャルオリンピックス下関のボランティア重鎮。デザインセンス抜群で大酒飲み。

小野田市刈屋で育ち、同じく小野田育ち、元カルタクィーン今村美智子さんの学校後輩。体育会系で今村さんには頭があがらない。


私の地名や人名好きが女傑の目にとまった。叔父の河本寅雄さんに会いに行くと絶対ええから。

きょうは、寅雄先生、大正15年お生まれ小野田竜王山ふもとのご自宅を訪ねる日。


私の自宅から歩いて近い西岐波小学校校長を最後に定年退職。以後の時間を小野田市内の旧跡や地名の由来などの調査にあてられ「ふるさと散策・小野田編」を自費出版された。

その定年時の在校生のなかに私の長男がいた。農園近くの元小学校校長の平山智昭先生とは校長仲間で今でもお付き合いされている。私は平山智昭先生の「僕らが授業の主人公」出版に関わった。


私は気の向くまま、興味があるものは深掘りしたい性分。先生は小野田市の南地域から北にかけて面を区切りながら隈無く歩かれた。それを地元のローカル紙に毎週寄稿され、その集大成としと出版を2007年に果たされた。


話が盛り上がりの最中に女傑のお姉さんが登場。期待したとおりとても有意義なひとときになった。まさに地域の宝物にお会いできた。

水墨画もたくさん拝見させていただいた。写真は長崎ではない。今は絶えたが小野田で蛇踊りがあった。


終戦前、師範学校在学中に召集令状。島根県三瓶山の山中で迫撃砲部隊の訓練に就かされた。沖縄に行く前に沖縄陥落。輸送船乗船に備えて迫撃砲のすべてに青竹を巻かされた。航海中に撃沈されても兵器は海上を漂うというシナリオ。


女傑から「ハマセンダン」にぜひ会ってくださいと背中を叩かれていたので、大濱炭鉱事故で殉職した人を弔う大濱神社の裏にある巨樹に行った。

昼間でも薄暗い山に階段が100段。足をとめたら薮蚊の大群がまとわりつく。とにかく写真は撮った。そうとう献血した。後日に載せます。


きのう美祢市 グルメと歴史ツアーのお一人が映画「劔岳・点の記」をご覧になった話題。新田次郎ファンの私は嬉しかった。DVD録画は二枚持っている。その一枚は下関市の方に貸し出し中。もう一枚、手元のものを彼女にプレゼントしたいと思い午後から作品鑑賞。


木村大作監督の最高作品と思う。その山岳映像とバックにながれる音楽はやっぱり感動に誘ってくれる。

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コメント: 1
  • #1

    下関の女傑 (月曜日, 06 7月 2020 17:50)

    ご一緒できず残念な気持ちでしたが、叔父や姉の柔和顔。貴重で愉快な時間であったと有難くなりました。(亡き母、八千代「寅雄さんの姉」さんは、同窓会に母が会場へ入った際、「女傑が来た~!」と同級生から叫ばれたらしい・・・母と叔父、私も教員。それなりの遺伝子やDNAが備わっているのでしょうか・・母方の両親も手が器用で、絵が上手でしたっけ。ハマセンダンの記事も楽しみに・・・有難うございました♪^^♪