木曜日を走りおえた

きのう300㎞の疲れで8時前には寝ていた。朝4時、飲みかけの米焼酎ストレートがコップに残っていた。


5時半、木曜日を満載して農園スタート。小月・唐戸・豊前田界隈から彦島。山の田界隈を走り新下関界隈。菊川の内日を走り田部。吉田の茶房しみずを終えて美祢市をぐるぐる走りまわって「よしの」で終る。

きょうも歴史と健康談義で学ばせてもらえた。


写真はカフェギャラリー「とりのこ」


阿知須町長をされた三好さん。共存病院院長の肩書きもあった。

ひび割れたゴムの聴診器をテーブルに置かれて、テレビ番組で戦争体験を語られた。ニューギニア戦線に軍医として赴かれた。玉砕という名の壮絶な全滅。その極限のなかで軍医として負傷兵。手術する器具や薬品を失い瀕死の兵隊にほどこす手だてがない。食べ物もない。大勢の負傷兵にしてやれることはひとつだった。

消毒のクレゾール液を血管から針で入れた。その最後を看取った聴診器。


もう亡くなられた山口市のおじいさん。奥さまを亡くされて独り暮らし。話す相手がないので言葉が少し不自由になった。毎週の火曜日、6個を届けて玄関に座って会話をかわした。

山口42連隊から成就された。広島で乗船前に配られた衣類が夏服だったので南方に行くのかと腹をきめた。ボクは生きるために爬虫類や雑草などを食べた。人の肉だけは口にしなかった。


福岡県矢部村から満蒙開拓団に志願した三男坊の三雄さん。隣の家まで遠く出産のときは私が産婆をやりました。引き揚げのときその子どもたちは失くなりました。


中国戦線で戦車兵だった方。多くの武勇伝を私に話されるなかに民間人を巻き添えをしたことを少し話された。


木曜日の配達。おばあちゃんは満州から引き揚げ。当時は小学生。敗戦から1年後の9月に博多港にたどり着けた。

天国から地獄を味わったと話された。

ご健在なうちにその体験を聞かせていただこうときめた。


今朝の唐戸魚市場。買いたいアジなどなかった。アサリが900円。それと甘エビをひと山買おうとしたら、ふた山で100円まけるからとふた山を買うことになった。

アサリも甘エビもたっぷり。アサリは汁とバター焼き・エビは生で楽しんであとは唐揚げ。