おお汗をかいた草刈り

月はじめの楽しみは長門市野波瀬の極楽寺。掲示伝道。


なにかの引用だったら交通安全標語や、学校の規則のように目にとまらない。張り出した側の自己満足。練りだした文章は読ませる、うなずかせる力がある。


神戸浜山小学校避難所。発災直後は自宅が全壊したり焼失した地域の人たち1000人以上が体育館や教室に分散した。地域に水や電気の供給と食料が滞っていた。食料の主なものは自衛隊から届く赤飯缶詰めだった。寒い教室などで冷えた缶詰めは食べたくなかったが食べた。


20日ぐらいから救援物資がトラックで届くようになった。当時は携帯電話もまだ少なく、事前にトラックが着くことはわからなかった。校庭にトラックが入ると避難している人がリレーで物資を運び込んだ。

学校周辺で自宅の倒壊や火災を免れた人が食料を求めて学校に集まった。

この救援物資は避難所に届いたものだから、学校の避難者で分配すると大勢の男たちが集まった人を追い返した場面に遭遇した。


木曜日の下関配達で耳にした「小倉から大勢が釣りに来るので、車が入らないよう岸壁などに柵をめぐらした地域がある」

小倉はコロナと毛嫌いした、私には住民エゴの柵だと聞いた。

海峡花火など、下関市と小倉は仲良くやっていた。それがコロナごときで断絶の構図をつくる。コロナ終息のあともそれはお互い尾をひくと思う。

終戦の混乱は生きていないが、経済がどん底になり食べることに一生懸命な当時を生きた人の昔ばなしに人情を感じたことがある。

コロナにとって行政区分はない。


早朝から配達。お昼に農園ゴールイン。

午後から3時間、おお汗をかいて草刈り。


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