長州の女(ひと)

写真は、下関市内で前方を走っていたサンデン交通バスが信号で停車したとき撮ったナンバープレートの上部。

故人になった歴史小説家(直木賞作家)古川薫先生の短い文章。


私が撮るほど気にいった理由はふたつ。


ひとつは、信号待ち時間で読み終える文字数。このデザインを手がけた人のセンス。


もうひとつ。躍動する維新の長州を舞台に数々の歴史作品を世に出された。どこかで先生の講演があると仕事をやりくりして聴講した。

特に、司馬遼太郎が乃木希典を愚将とした作品「殉死」に長州の作家として乃木希典を世に出し「斜陽に立つ」を執筆された。

晩年は、三国志を書き上げたいと言われながら、大戦中の訓練飛行機「赤トンボ」のことを山口新聞に連載された。

それは、古川先生が学徒動員で千葉県の練習機組み立て工場勤労奉仕て。そして特攻する航空機が不足した終戦まじかなときから、沖縄の離島から赤トンボに200kg爆弾を吊るしてアメリカ艦隊に多くの若者が飛んだ。

木製の骨組みに、布を張って作った赤トンボ。爆弾の重みで海面すれすれをフラフラ飛行、レーダーに機影がとらえられないので高い確率で成功した。

ご自分が手がけた赤トンボが特攻に使われたことを反戦の気持ちを込めて書き上げられた。


で、バスの後ろ姿。

維新、長州の女は藩が黒船を撃つ大砲をつくるというと女の命として大切にしていた鏡を藩に出した。民謡「男なら」にも謡われている凛々しい長州の女。


高杉晋作や伊藤博文が国際的に活躍した馬関(下関)の女は、豊満な肌をさらけだして彼らに愛された。


その二つの長州の女(ひと)を短文に書かれた。直筆だと思う。


「歴史の裏に女あり」「歴史は夜つくられる」つまり、男を奮い立たせた女たちがいた。


きのう250㎞を11時間で走りおえてゴールインした。早朝の唐戸魚市場で買った大きなカツオの半身とアサリひと山。

今朝も3時に目がさめた。けれども眠たい。夜露がおりている時間に焼却ゴミに点火したいけれど眠気にまけた。

6時前にゴソゴソと布団から這い出た。


数年前の体力なら「よし、これから半日草刈り!」だったが、2頭の愛犬を別々に散歩するだけで胸の赤ランプが点滅した。

この体力で出来ること、ゆきちゃん予防注射。暴れん坊ではあるが、車の助手席にロープで繋いだら淑女になる。阿知須の松田動物病院に行った。


戻って、私の血圧通院。水曜日がその日だったが忘れていた。病院入り口で検温は無事通過。担当医の女医さんだったから血圧は沸点の180と90「もう一回計りましょう」でも沸点。前回は煙草臭いおじさんで130と70だった。すぐに下がると思いますから。と診察室をあとにした。

降圧剤を6週間分待っている薬局廊下にあった血圧計で計ったら130と70だった。

担当医が、私のばあい問題かもわからない。