ガイドの井上さんお礼の電話頂戴。

写真は、美祢市小杉に建立されている白虎隊士の飯沼貞吉と楢崎頼三「恩愛の碑」


戊辰の戦いに赴いた小杉の武士、楢崎が飯盛山で自刃した白虎隊士のなかに首に大怪我はあるが息をしている少年貞吉を見つけた。

ひそかに小杉に連れ帰り手当てをし、会津の両親に「育てる」と手紙を送った。


私の疑問は、瀕死の少年を会津から美祢の小杉までどうやって連れ帰ったか。それは、長州軍はイギリスの軍艦をチャーターして会津に向かいその船で凱旋した。それなら話はわかる。


もうひとつ、自刃できなかった少年をなにゆえに(面倒がおきる)連れ帰ったか。

ここは私の推理。少年たちで結成された白虎隊。飯盛山で自害した少年の人数はいろいろ言われている。

鶴ケ城落城(実はまだ)と思った隊士は武士の作法どおり殿のあとをおって腹を切った。死にきれなかった少年が手当てをうけていることを知った楢崎は白虎隊士として自害しそこねた少年の無念。傷が治ったにしても会津の地で生きてはいないだろう。この命を救いたいと、萩や山口ではなく美祢の山あいに連れ帰った。


会津の少年は、憎い長州から命を助けられた屈辱に何度も自害を試みた。

楢崎の「お前は生かされておるのがわからんか」に生きること、日本の国に貢献できる貞吉になると決心して勉学にはげみ、日本の通信技術の基を築いた。


その貞吉の孫が東京で大きく事業をされている。あの津波で学費に困窮した福島の大学生をさがして一律15万円を手渡された。

そのような解説をお二人にした。


1ヶ月前の日曜日。朝8時からラジオを聴いていたのは「音楽の泉」母のもとに通う7年のあいだ、縁のなかったクラシック音楽の手ほどきをうけた番組。

解説をされる落ち着いた口調は皆川達夫さん。唐突に「きょうの番組で私は終わります。30年ものあいだつとめましたが齢92歳をむかえ、体力に自信が持てなくなりました。皆さまご機嫌よう」と番組をむすばれた。


30年も92歳も知らなかった。

番組の顔として毎週よくぞお勤めくださったと胸があつくなった。


長府散策。冷たい雨のなかを仲間と楽しめた余韻と疲れで昨夜は気持ちよくダウン。

今朝、ガイドをお願いした井上さんから「ガイドとして嬉しい一日でした」とお礼の電話を頂戴した。

終わりよければすべてよし。


美祢市のガイドは少しは出来ます「あだち」におまかせください。