Facebookは「友だち」の誕生日を自動的に知らせてくれる。それで、きょうは藤野先生がお誕生日と早朝Facebookから知らされた。
いま、私は鶏と生きる生活をして満足している。
けれども、次の人生があるならば藤野先生のように「先生」とか「教師」と言われる人生を歩んでみたいと思っている。
それは、前職のころ広島県三次近くに営業に行くと日本酒をかかえて「泊めてください」と上がり込むのは金光教吉舎教会。大男でぶっきらぼう、コップ酒を飲みながら私の話に「おお」と相づちをうつ井上睦弘先生。
ニヤニヤしながらの聴きじょうず。聴いてもらいながら、先生は酒を飲むだけでも、こちら「気持ちのくもり」が晴れるという関係が長年続いた。
三次は中国山地のど真ん中。冬場は驚くほど積雪もある。
その夜も雪が降り続いた雪見酒。
「先生!失礼じゃけど、こねえな田舎で神様の布教と言うて外にも出ないで神前に座り続けておられるが、もっと具体的に、人が助かることを外に出てやったらええんじゃないかね」と言った。
「おお」と笑いながら
あのなー、今朝も職場にむかう人たち、学校に行く子供ら、子育てのお母さんたちがお参りされた。その一人ひとりと話をして背中を押した。
そのみなさんが、それぞれの持ち場で精一杯の「今月今日」を輝いてくれる。ワシは、このご神前に座っているが。
「先生・教師」は、生徒や信者が各々に目指す道を歩む背中を押して「ワシも一緒に歩むから」と背中に祈る。その境地を垣間見た。
藤野先生 お誕生日おめでとうございます。
大勢の人たちの背中を押してください。
未熟児で生まれた。親が子育て放棄をした。この坊やが哺乳瓶で育てている。
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藤野貴之 (火曜日, 31 3月 2020 18:57)
足立様、お祝いの文章をありがとうございます。
教師を志した者は、社会的な成功=儲け、地位とは縁遠くなります。まあそれを目指す方もいらっしゃいますが・・・目の前の困っている人、縁のあった人の解決になるような手助け、いずれ役に立つであろう、無形の力を伝え渡します。ですから、生活のために多く税金から給料が投入されると思っています。
そして、足立さんが背中を押したと言われる方から大きな肯定をいただけるのです。いつもありがとうございます!
あだち です (水曜日, 01 4月 2020 19:11)
藤野先生こんばんは
小学6年生のとき、父兄参観(母は仕事)でクラスの優等生が手を挙げてこたえた。それは地名が間違っていたので手を挙げて正解を言ったら教師は無視した。中学のとき縦笛を買うお金を母が「少し待って」と言った。クラスで私ひとり払えなかっことを音楽の先生は鼻で笑った。ええ教師にご縁が少なかったのです。