肌寒い月曜日だった

日曜日、松村御大ご夫妻・菊川画廊のあるじ・新保さんと私がおじゃまをした下関市長府の木村邸。


中越地震の被災地、新潟県十日市町の避難所に下関市から「ふく鍋隊」が出ることになった。隊長は唐戸魚市場社長の松村御大(当時)「新潟県まで行くが、行くなら美祢インターで6時に乗せるど」と声をかけてもらった。

下関市から日通大型トラック(ボランティア・運転手は志願)と大型キャンピングカーが「ふく鍋」にくわえて下関市民からの支援品を乗せて走る。

なぜ十日市町か?松村御大と「掃除」「ハガキ」で契りを交わした土建業の村山さんがそこで被災した人のお世話をされていた。


道中、たくさん物語はあるが割愛。

金剛住器社長の木村さんもメンバーだった。すべてのメンバーが大酒のみ。木村さんは酒は飲まなかった。アルプスの山々を眺めていた。声は太いガラガラ声。それが木村さんの印象だった。


帰って数日後の月曜日。早朝7時に木村さんから電話を受けた「きょうのお誕生日おめでとうございます」のガラガラ声。

木村さんは下関市内の金光教教会に参っておられ、新潟から戻った日にお参りされて教会長に報告をされた。そのとき「宇部市の足立さん」が話題になった。


教会長は酒が好きで、私はとことん付き合った。教会長の癖は誕生日を記憶すること。木村さんに⚪日に「おめでとう」と電話をしなさい。


その電話で木村社長と深い話ができるお付き合いになった。


木村さんの奥様。鍵山記念館を訪れられたとき「浪花」のお嬢さんと親しくなられた。

お嬢さんが習っておられる機織り(奥様、若いとき習っておられた)の先生を紹介してもらい自宅で習っておられる。写真の作品は織られたもの。藍染は15メートル。


その機織の先生にたまごの配達が半月前からはじまった。