ご神意のまま生きる

きのう夕方、原田さん終祭(通夜)お参り。お祭り40分前に祭場に入った。受け付けは3ヵ所「金光教関係」「会社関係」「一般」結婚式場・披露宴会場のララマリーとエミリアの両方に農園から納品しているから「会社」。金光教とは太秦教会だけでつながっている。家内が「受け付けはどこで」と聞いたので「一般」とこたえた。


棺の原田さんにしっかりお別れの合掌。

教会に足が向かない私を「飲みに来なさい」とご自宅に何度も招いてくださり、神様ひとすじの人生で大きな幸せになったことを語られた。

私が「下関でふく料理を腹いっぱい食べませんか」と誘うと「松村さんや上田さんに会いたい」と参加された。


「私の仕事は、披露宴会場の後ろで新郎新婦がどこまでも幸せな人生を歩むことができる。そのことを神様に祈りながら、すべての披露宴を拝ませてもらった」と。


終祭でご長男(社長)の挨拶。

会社の社是は「実意丁寧」それを父親は背中で教えてくれました。


5月2日、原田さんが朝夕の参拝をされた教会100年の記念祭が支えられる。ご招待を原田さんから頂戴したが「私には敷居が高い」と先日ご長男に伝言を申し上げお祝いを託した。そのとき奥さまとバッタリあった「入院はしていますが元気ですよ」と。ご長男も「父は、病室からテレビ会議ができるようにしてくれんか」と気力は満々ですから。


まさに命がけで100年祭に向き合っておられた。その神様ひとすじの原田さんが5月を迎えることなくお国替えをされた。

それを神様に「なんで記念祭までの命を」と誰もが思う。私も、あれだけ神様ひとすじに生きた原田さんが、その日を迎えることを「あなた」のおはからいで叶えてあげられなかったかったのか。


農園に帰る運転は家内。祭場から一番近いコンビニでハイボールの9%ロング缶「黒ネクタイで酒を買うかね」と家内。


ご神信(信心)を私の背骨にしてくださった、早島教会の玉井先生(故人)が阪神淡路の震災で「神も仏もあるもんか」と浜山小学校避難所からの私に「ええか、神も仏も全知全能ではない」と前置きされた。


その言葉をハイボールで思い返した。

絵に描いた餅のような物語ならば、100年祭を終えてお国替。それは美化されて語り継がれる信心話しになるかもわからない。否定はしない。

命をおえる理由が見つからない命が毎日消えている。大津波で流されたたくさんの命も理由が見つからない。


人は、誕生日も父母もご神意でいただいた命。その終わりもご神意。


原田さんが願われた100年祭は、実行委員会メンバーが原田さんの願いをうけて奮起して麗しくお仕えされると思った。