月曜日は厚狭のさんちゃん。

月曜日のお届け先。老人介護施設は8時半ごろになる。職員さんの受付がはじまる9時前なので玄関を入って事務室前に置いていた。

今朝は玄関ドアが開かない。ボックスが置かれて「新聞・卵はこの中に」と書かれていた。


お昼前に事務室から電話「利用者さんが夜中に外に出て大騒動になりました」と経緯を説明してくれた「命」をあずかる職場の職員さんは外からのコロナと内からの利用者さん対応に奮闘中。


美祢市の山あい。10個のお届けに行ったらばあちゃんが玄関で棒立ち「とうしたかね」と聞いたら「なんで外に出たのかを考えていた」と。


きょうが月曜日で私が来ることも忘れてお金を用意していなかった。どうも認知がはじまっていると思う。


その話題にしばらくつきあった。

「ばあちゃん、うちの家内は冷蔵庫をあけて、あけた理由を考えていた」などと高齢になればそうなると笑い話になった。


震災の「復興」と言われる言葉を考えている人たちが新聞やラジオにネットで発言している。

復興が「元どおり」という意味なら私はちがうと唱える人が多いことに気がついた。


震災前と比べてという復興。それは「私を20才にもどして」という無理なことにも思える。

課題や問題が山積しているなかで築かれていく現実が復興ではないかと私の理解。


厚狭のさんちゃん。きょうはお友だちが寄り添っていた。