コロナで真価が問われている

響灘の一枚。

先週の木曜日は荒天で白波だった。きょうは無風で鏡のような表情だった。


一方、陸(おか)では不景気風が吹き荒れる。

木曜日、唐戸魚市場で魚を買ったあとコンビニでコーヒーが私のメニュー。いつも駐車場は満車が今朝はガラガラ。混雑する通りもすいすい通過。唐戸市場も閑散として活気がなかった(特大イワシ6匹とアサリをひと山買った)


配達先で「大丸百貨店はお客が少なかった」「博多に行ったが地下街は閑散としていた」美容室では「卒業式がなくなり予約キャンセル」と嘆いておられた。


農園たまごキャンセルは旅館や飲食関係のお客さまからある。農園にも試練がやってきた。


その一方で外国人観光客の激減。インバウンド経済の落ち込み。その外国人観光客頼りに甘えてきた観光業はここで本来の観光業を考えるときがきたと思う。


金閣寺をはじめて拝観したとき。外国人の人ごみは凄まじく、自撮り棒が乱立して騒ぎたてる意味がわからない言葉に圧倒された。

地震の被災前。熊本城昭君之間を訪れたときは、立ち入り禁止の大広間に外国人の若者が入り寝転んでのやかましい撮影風景にうんざり。


京都の神社仏閣も外国人相手にインスタ映えする場所をつくり金儲けにまい進。

およそ「お参り」とはほど遠い京都になった。


小鹿田に観光バスが止まり、降りた中国人観光客が立ち小便の放列に唖然とした。


コロナ騒ぎは、ある面で大切なことに気づかせてくれることになればよいと私は思う。