長文になりました

神戸25年の朝。犠牲になられた人たちに鎮魂の手をあわせた。

兵庫区浜山小学校避難所に19日に行ったのは、学校すぐそばで全壊した金光教岬教会が各地の教会に応援要請を発した。個人的なご縁はなかったが、なにができるかわからないままたどり着いた。まだ近くの長田地区は混乱の真っ最中。


地域の人たち1500人ほどが家屋の全壊や半壊で小学校に集まっていた。火や水に食べ物はなかった。

私が到着した夜に自衛隊から赤飯の缶詰めが届いた。被災者みなさんが持ち寄った携帯ガスコンロ。鍋にプールの水を入れて缶詰めを教室の床に並べて温めたが人数が多く冷たい赤飯を多くの人が黙って食べた。

トイレは悲惨な状況になっていた。陣痛がはじまった人。暴漢に襲われそうになり学校に逃げてきた母親と娘さん。ささいなことで喧嘩もあった。


避難所が閉じられ、その区切りの復興祭が4月末に行われるまで滞在した。


その神戸に下関から「ふく鍋隊」が3度も炊き出し奉仕をしたことを知った。責任者、当時は唐戸魚市場専務の松村さんに「4回目を浜山小学校に出してほしい」とお願いした。その打ち合わせで宇部市内で酒盛り。

浜山小学校に「ふく鍋隊」があまるほどの食材。中古自転車や中古洗濯機に古い畳。女性の下着(新品)満載で到着した。


松村専務とは、宇部電子計算センター当時の上田部長(松村さんと萩市の中学同級生)がご縁を結んでくださった。

松村夫妻が上田さんのお宅にふく大皿を持ち込んで酒盛りの席に同席した。それが神戸の前後、いつだったか思い出せない。


私が学校に着いてしばらくしたとき、ヤマハの大型バイクで来た宮崎弁の牧さん。マグロ船乗組員だったが、出港直前神戸に来た。

私は宮崎県の各自治体と会議録調整でお付き合いがあり宮崎弁が耳に馴染んだ。仲良くなった。


宇部市で会議録調整の会社と金光教本部(岡山県金光町)で金光出版を営んでいた。小学校避難所滞在中には多くの人と挨拶をかわす場面があり金光出版の名刺を使った。それを「売名行為」と金光教内の一部で評判になっていることが耳に入りうんざりした。


余談。

名刺のおかげで神戸子供病院副院長(金光教ご信者)とご縁がうまれ。その後、小野田市で難病(水頭症)のお子さん(金光教信徒)の手術を副院長と関係者が久留米市聖マリアンナ病院で執刀という物語の中に関わった。


神戸を語れば、今でも涙がこぼれるようなたくさんの場面がある。

松村さん、牧さんや多くの仲間とご縁がうまれた。


当日の私は、Yellow Hat鍵山先生主宰「日本を美しくする会」は知らなかった。

大阪掃除に学ぶ会「確か上野さん?代表」が神戸の各地域に仲間と訪れてトイレ掃除や炊き出しで活躍された。

その様子を、当時の美容師カリスマと称されたサンパウロ在住の飯島さんが来日中に見ることになり、感動してYellow Hatを訪問。その後、ブラジル掃除に学ぶ会を立ち上げた。立ち上げられて2年後、私は飯島さんを取材(機関紙の清風掃々2号)でサンパウロに行った。

掃除と取材は一日で終わり、一週間ほどコルコバード、リオのカーニバル、イグアス国立公園などブラジルを満喫した。


神戸のあと、私は金光教に参拝する気持ちが萎えた。仕事も変えた。けれども長女の照美さんは太秦教会でご用をしている。母は太秦教会奥城におまつりさせていただくレールになった。


避難所に子犬をつれてお婆さんがこられた。ペットは三田市の収容施設に預けるルールになっていた。当時の私は犬は動物、家族ではないと思っていたからルールを教えた。婆ちゃんは「わかりました」と。

あのとき、私が一人で寝起きしていた音楽室に婆ちゃんをむかえてやれなかったのかと、それをいまごろ悔やんでいる。


昨年3月17日。豊浦の山中でダンボール箱に生まれたての子犬が3頭捨てられいた。イノシシ猟に行った方に発見された。

ご家族が手を尽くして育ててくださった。そのお宅には猟犬がいるので趣味で3頭を飼うことはできない。

お宅の高校生お嬢さんにピアノレッスンされていた先生がSNSで「飼い主さん!」と呼びかけた。それをフルートちゃん(長年お付き合い)がキャッチして私に投げた。

私の寿命と天秤したら飼う自信はない。けれども、この子犬のご縁で元気に生きていく努力、励みになるのではないかと引き受けた。

幸と書いて「ゆき」ちゃん。きょう元気に10ヶ月。

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    神田英子 (金曜日, 17 1月 2020 21:42)

    とても感動するお話でしたね。
    あだちさんのことが、だいぶん見えてきました。

  • #2

    あだち です (土曜日, 18 1月 2020 15:20)

    神田さん、いつも感想をありがとうございます。
    いつも目先がかわり、遠回り人生を歩いています。