命の選別をラジオで考えた

きょうは下関市内、あすの木曜日では配達しきれない外回りコース。配達軒数に比較して走行距離がのびるのはしかたがない。

けれどもラジオ番組「すっぴん」水曜日は、ビロードのような声(リスナーから命名)能町みね子さん。みね子さんから教わることが私には宝物。


彼女に相撲を語らせたら一流。まだ名前も知られていない外国人力士の個性や、四股名の由来、力士の父親の体型などマニアぶりがさく裂する。

その彼女が、白鵬関と遠藤関の一番を熱く語った。

その一番、私も見た。先場所で白鵬関のプロレスまがいのエルボーをうけた遠藤関は出血して負けた。

その雪辱をはらすような先日、遠藤関の白星に館内はわいた。座布団が舞い遠藤コールの大合唱。私も「遠藤ようやった!」とテレビの前で手を叩いて喜んだ。


その有り様を彼女は強い口調で「あれはダメです」と言った。白鵬関も精一杯の取り組みをした。ましてや相撲は神事。サッカーやラグビーとはちがう。

力を尽くした両力士に拍手をすることが礼儀。ましてや、取り組みが残っている会場で座布団をなげるという無礼はつつしんでほしい。

私は、その言葉に相撲の心を教えてもらった。


もうひとつ教えてもらったラジオ番組は「三宅民雄の真剣勝負」

今朝は、相模原殺傷事件裁判、私たちが問われていること。映画監督 森達也さんが解説された。

「私たちが問われていること」にスポットがあてられた。

事件は、重度障害をもった人は社会や家庭に負担になっているという考え方からおきている。


リスナーさんから発言がたくさん番組に寄せられた。そのなかで産婦人科で働いておられる方から。

命の選別。妊娠後の検査で染色体に問題があることがわかった親が中絶をされる。

妊娠をしたくなかった人が中絶。

つまり「命」は、どこからはじまるのでしょうか。


殺傷事件犯人が裁かれるならば、裁かれなければならない殺人もあるという示唆と解釈した。


森監督。答えはでない事柄が世の中にはたくさんある。答えは見いだせなくても「目をつぶる」ではない社会がもとめられる。というような(私の解釈)まとめをされた。


写真は、美祢市の山奥の半グレ。