西君の命日

9年前の1月14日(金曜日)のお昼過ぎ、防府市内を配達していた携帯電話が鳴った「西君が川に!」と家内の叫び声。川に飛び込んで引き揚げた正志の携帯電話はダウン。家内が連絡役になった。船木の消防レスキューが到着して救命処置を小雪が舞う川土手で行う。船木の救急車が到着して宇部市の山大付属病院に走った。船木消防の隊長は地元の方、宇部からドクターを乗せて小野付近で合流しドクターを乗せて病院に向かう指示をだした(後日、隊長から聞いた)


防府市から農園にアクセルを踏んでいた。農園に戻りおおまかなな状況を残って後始末のレスキュー隊員から聞いて医大に走った。


48年の人生を、小雪が舞う川底で終えた西君。真夏でも真冬でも笑顔で仕事をしていた。


きょうは命日。


モズのはやにえ。寒中餌に困らないようモズが冬の前に餌を準備することをいう。それを2年前、菊川で見つけた一枚。


部屋の掃除は毎朝掃除機で済ませている。階段などホウキでする掃除は週に一回。その掃除は母直伝をやっている。

ブリキのバケツに水をはり、何枚かの新聞紙を漬ける。それを絞ったあと、手で小さくちぎって部屋に撒き散らす。

それを毎日やらされた。

湿って撒き散らかされた新聞紙を、母はホウキで掃わいた。ホウキだけだったらホコリが舞う。新聞紙がホコリを吸着してくれる。

そのやり方を階段でやっている。


ラジオ午後は「武内陶子のごごラジ!」

きょうは、「一般社団法人あがり症克服協議会」の代表が登場された。

中学生のころから20代の中ごろまで吃音。家内の母親葬儀で挨拶を指名され、言葉がつまって話せない、そのときは大勢の前で「穴」どころではなく死にたいほど恥ずかしいと小さくなって座った。


私なりに、そのハードルを越える努力をして越えた。

参加したい会合があっても自己紹介や感想発表が嫌で遠慮。電話は緊張して言葉につまり焦って気持ちが伝えられない。

よく理解できる体験をされている人が多いことに驚いた。


午前は「すっぴん」きょうのテーマは「雪」

雪にまつわる全国のリスナーから体験談がメールとファクスで番組に寄せられた。

私の「雪」は小学生低学年のころ。

母の故郷、島根県簸川郡斐川町(斐伊川近く)に冬休みに行った。田舎で退屈したので都会?の出雲市にバスで冒険に出た。朝から雪が舞っていた。

一畑百貨店や商店街を歩いて帰ろうとしたら豪雪。バスも汽車も運休。

簸川平野の国道9号線を10数キロ、雪ダルマになって歩いた。今に思えば、よく生きていたと思うほど、国道に車は走っていなかった。

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コメント: 2
  • #1

    藤野貴之 (火曜日, 14 1月 2020 19:43)

    昨日、どんど焼きに身内が集まりましたので、10年祭を行いました。当時、センター試験の前日の思い出がよみがえってきました。お世話になりました。
    出雲のご縁、正夫君のご縁、お掃除のご縁、本当にお世話になります。

  • #2

    あだち です (水曜日, 15 1月 2020 06:38)

    藤野先生おはようございます。
    西君の思い出をたどりながら月曜日を過ごしました。
    顔色で感情が読みとれる正直者でした。前の月、浪花に行ったことは彼によかったと思います。