師走を元気に過ごしましょう

商品名「どんなときもWi-Fi」を使いはじめて生活が楽しくなった。月々5GBの範囲を気にしながらタブレットを長年愛用してきた。そのGB枠から解放された。


今朝は早起きして先週のラジオ放送。配達でじっくり聴けなかった番組ふたつをアプリ「らじる・らじる」の聴き逃しサービスでしっかり聴いた。


ひとつは、金曜日の朝「三宅民雄の真剣勝負」登場されたのは、通訳や音楽の分野で琉球王朝に仕えてきた川平(かびら)家の末裔 川平朝清さん(1927年)。

終戦直後に台湾から沖縄に戻ったときお祖母さんが「国敗れて山河ありというが、山河もなくなった」と呟いたことを覚えておられた。

首里城に最初に行ったらガレキの山。王墓の扉は開けられ石棺の蓋があいて王の白骨が見えた。


その話が首里城焼失と重なりとても重たい内容になった。番組は7時半から8時となっている。8時前に「もしよろしければ8時からもお話しいただけませんか」と三宅アナが驚く発言をした。

当然、8時からの番組構成はスタンバイしている。それでも、ご高齢の川平さんが伝え聞いた琉球王朝の話は今しか聴けないと判断したのだろう。突然、異例の番組変更になった。


三宅アナの英断と「ああ、話します」と受けた川平さんに拍手をおくった。


もうひとつ。同じく金曜日の高橋源一郎「源ちゃんの現代国語」。

今回は詩人、茨木のり子さん(1926年で故人)取りあげた著書「ハングルへの旅」

茨木さんは晩年ハングル語を学ばれ、朝鮮の歴史を数々日本に紹介をされた。


戦後まもないころ、韓国の女性詩人と銀座で会う機会があった。茨木さんは彼女のハングル文字の詩を読むことはできなかったが、彼女は茨木さんの詩集に目をとおして感想を流暢な日本語で伝えた「日本語がお上手ですね」と言うと「私は生まれてから日本語しか使えなかった」と返された。


日本が奪った言葉や文字があったことがわかった。

それが茨木さんがハングルを学ぼうとするきっかけになった。

他にもたくさん興味深い解説を源ちゃんがしてくれた。


散髪を済ませて防府市のトヨタ。冬用タイヤ装着とオイル交換。私は毎月5000km以上走るので3月末にはタイヤ交換になる。


きのう長門市野波瀬 極楽寺の掲示伝道が12月に更新されていた。


先月の写真を更新しました。21枚、先月の思い出を載せています。