鹿児島の旅をおえました

ホテル大浴場の朝風呂。献立がたくさんの朝食バイキングを済ませてチェックアウト。8時に鹿児島ICから帰路についた。


鹿児島県から熊本県。その県境の加久藤峠ループ橋と霧島連山を撮った。

20数年前、市町村議会会議録の仕事をしていた。当時の宮崎県は33市町村。その全部と仕事の契約を結ぶ目的の宮崎県通い。一番多い年は年間50泊、宮崎市内のビジネスホテルを利用した。別府から延岡を経由して宮崎市に入るルートには高速道路がなく、宇部市から宮崎市まで12時間を要した、大分県と宮崎県県境には宗太郎峠という冬場は凍結の難所。それに比べて、八代市までは高速道路が開通していたので加久藤峠から宮崎市に向かうことが多かった。


けれどもこの峠も冬場積雪はないがしっかり凍結した。当時はスパイクタイヤ全盛だったが、それでもここでは安全を期してタイヤチェーンをかけた。スリップ事故で通行止のときは麓の小林市の旅館で泊まったこともあった。


加久藤トンネル約6キロメートルを抜けると霧島連山のパノラマが「宮崎によう来た」と迎えてくれた。


鹿児島や宮崎を運転して訪れることは年齢的に今回が最後。加久藤峠ループ橋と霧島連山を撮った。


昨夜の夕食も愉しいひとときになった。

「かごっま屋台村」26軒のなか、串木野の魚がメインの店「ツナバル」となりのお客と肩がふれ合う狭さ。椅子は8人。それ以上の客は外のテーブルで毛布を膝にかける。

運良く店内に座れた。家内は生ビール、私はハイボール経由の芋焼酎。

向かって左奥には革ジャンパー、細身の美人一人旅は北海道。その隣は混浴温泉研究家の大柄な男。その隣は関東から親子で漁にきて水揚げが終わり親父は船で帰った。彼はこの店の魚料理ファンで今夜は飲みあかして飛行機で帰る。そして私夫婦。私の右は紺色スーツにネクタイの34歳お坊っちゃま。その右に地元ギャルがお二人。


その東京色白のお坊っちゃまが屋台の主人公になった「学会で来ました」と言うと「なに学会か」と混浴が言う「医学。ボクは小児科医です」と言うとギャルが「明日のご予定は」と瞳を輝かせて聞くと帰ると言うので「霧島神宮を案内しましょうか」と。酔って会計をしかかったお坊っちゃまが座りなおして「あご折りサバ刺身と焼酎をロック」と注文したのでギャルは大ウケ。

漁師が「性格変わったか」と声をかける。革ジャン美人はニコニコ会話を楽しみないがら「あらっ、このメニューの焼酎は全部飲んだ」とオーダーはハイボールになった。


鶏飯(けいはん)は徳之島や奄美大島の名物。ギャルは島の出身でその料理は得意。グラム89円の鶏皮を買って煮る。そのスープに味をつけて、煮た鶏皮をきざんで茶碗のご飯においてスープをかける。カウンター内の若いマスターが笑いながら聞いていた。


私たちは、マグロ盛り合わせ・カンパチ刺身・キビナゴ刺身・〆鯖炙りなどを食べて「肉はないかね」と聞くと刺身用の鶏があるというので「もも肉をレア焼きで」と頼んだらこれが絶品。


混浴愛好家が「本当に小児科医ですか、婦人科ではありませんか」「山口県は秋芳洞と瓦ソバを知っています」と言うと、美人が「北海道にはいい混浴がありますよ」など大宴会になってしまった。私ははめを外さなかった、外せなかったのは家内がおったから。


島出身のギャルはお坊っちゃま先生に手をふってお帰り。先生は明日の夢が逃げてカウンターにうなだれた。私がドクターヘリを呼ぼうかと言っても頭をあげなかった。

魚は最高にうまかった。焼酎もおまかせでたくさん飲んだ。

ひととき、知らない人と大騒ぎになった鹿児島の夜。この旅の思い出になった。


午後2時に農園ゴールイン。愛犬たちが大騒ぎしてむかえてくれた。


ゆきちゃん。きょうで8ヶ月。先ほどの体重測定12キログラム。とにかく元気に成長している。