神様が身近な生活こそがたいせつ

先週の金曜日。小郡駅近くの踏切側にあるローソンでコーヒーを買った。至近距離で警笛がなった。踏切に走ったら機関車が後退していた。


きのう午後に血圧通院を書いておこう。

下関市から宇部市内の病院に直行。3時前に起きて5時半に農園をスタートした。綾羅木や梶栗に長府に小月を走った。これで女医さんと向き合ったら180ぐらいまではあがるだろうと不安をかかえて診察室。

煙草の臭いがただようおっさん先生だった。134と70を血圧計は指した。

年増の看護婦さんが「足立さんは!」と背中をたたいた。


とても嬉しいことがあった。宝くじではない。

美祢市厚保のお届け「諏訪」さん。午後に配達に行ってばあちゃんと裏口で世間話はいつものコース。

お宅はどん詰まりでほそい坂道の上にある。話をしながら少し上を見たら祠があった「あの祠はなんかね」と聞いたら。諏訪大社の神様で何年かごとに長崎の諏訪神社からお参りがある。明日は年に二度の祭り日で、近くの神功皇后神社宮司がお仕えされる。

それで「諏訪さん」なのかとおおいにガッテン!


その話を「よしの」でしたら、出雲大社と諏訪大社のことを解説してくれた。


厚保には一畑薬師もある。熊野神社もある。疣神様や八百万の神様に日々の生活をお願いした。

そのような時代こそが人間らしいと思う。