国民の権利と義務の意味がわかった

上の鯉はカメラ目線と思いませんか
上の鯉はカメラ目線と思いませんか

月曜日、大寧寺の宝石たちを撮った。上の写真、カメラ目線と思いませんか。黒の真鯉が真ん中で泳いでくれるのを待ったが無理だった。


台風19号。行政が設けた避難所に路上生活をしている人が3人避難したが断られた。その行政対応にネット上ではさまざまな意見があった。


私は神戸のとき浜山小学校避難所でお手伝いをして体験したのは外国人。ベトナムやフィリピンの若い人が大勢こられた。長田地域の製造業で働いていたと思った。長田地域はたくさん消失した。彼らの言葉はわからないが受け入れた。


今朝のNHKラジオ番組。

路上生活者は避難する権利を言うが、納税など義務を果たしていない。というネットの意見に対してどこかの大学教授が。


生きる「権利」と、生きようとする人を守る行政の「義務」が本来の意味であると解説された。それを聴いて溜飲がさがる思いがした。


路上生活者は不潔という書き込み。

神戸のとき長い断水だった。洗顔や歯磨きの水にも事欠いた。ましてトイレも。一ヶ月以上、冬とはいえ風呂に入れなかった。避難所の約千人は着替えもできなく臭かったと思う。

2月に2日ほど自宅に戻った。新幹線の4人掛けの椅子に私だけ。誰もそばに座らなかった。服は汚れて頭はボサボサでヒゲはのびていた。路上生活者の風体だったろう。駅に迎えにきた家内が「とにかく風呂に入って」が迎えの言葉だった。

災害のときは日常とはまったく異なる。


水曜日の下関市。クチコミでお客さまが増えている。鶏の数が足りない。