くらちゃん4年の命日

農園ちかく、独り暮らしのおばあさんが緊急入院。3歳メスの柴犬「くらちゃん」が残された。

しんあい農園で世話してもらおうと近所で意見がまとまり農園に連れて来られた。当時、農園には3頭の愛犬がおり、私はSOS。山口市のお宅で「飼いましょう」と声をかけてもらえた。


引き取られて間もないころ、くらちゃんと新しい家族の写真が届き入院先のおばあさんに届けて喜ばれ、とても安心された。

10数年、くらちゃん可愛がられて4年前の11月2日他界し農園に埋葬した。

さきほどお世話をされた加津恵さんと杏子ちゃんがお線香をあげにこられた。


下関の地名「王喜」や「王司」が気になっていた。王喜の配達先で「王喜村誌」約1000ページをお借りした。今度は古墳から現在までの資料が「村史」ではなく「村誌」なのかが気になる。


だいたい冠の「王」がわかった。

海上自衛隊から広がる広大な干拓地が王喜地域。山口県では干拓地を開作と言った。この王喜開作が成就するまでに多くの犠牲者を出した。そこで鎮の神、竜神を祭り「王」として神事を仕えたが、それでも犠牲者が多くついに人柱をたてた(私の推測では罪人)それが惨いので、村の墓石を樋門の底に沈めたという記述があった。

遠浅の海を開作して農地をひろげなければ生活ができなかった歴史が読み取れた。


太平洋戦争。この地域から150人ちかい戦死者がありすべての方のお名前、戦死場所と年齢があった。陸軍四十二連隊は山口市。そこに召集された男たちはおもに南方。ニューギニアやサイパン島。ミッドウエイ海戦や硫黄島で戦死の記述。


小月飛行基地から本土防衛に飛び立ったことも克明な資料。小倉や下関爆撃に飛来したB29の高度は9000メートル。そこは気流も激しい極寒、低酸素の世界。機関銃が凍りついて撃てないから体当りしたことなど。そもそも、その高度に達することだけでも命がけだったことがわかった。


王喜村誌、日本の片隅の歴史から見えてくる日本の歴史があることを知った。小さい地球というキーワードから入れば世界を感じとれるヒントを得た一冊に出会えた。