懐かしい愛犬たち

使っているガラ携に撮った写真が埋もれていた。

母の入院中の様子、家内と宮崎の旅、愛犬も撮っていた。当時はタブレットもカメラももちあわせていないので、ガラ携カメラが活躍した。


上の左「はなちゃん」防府市からご縁で来た。当時の私は前の仕事。自宅の倉庫前に繋いだ初夜。深夜になっても悲しい泣き声が止まない。朝、家内が倉庫のなかで抱いて寝かしていた。命名は、高校生だった真砂恵さん。命令がよく理解できたのでリードに繋いだことはなかった。


農園生活をはじめたので相棒になった。繋いだことはない。10時間以上の配達でも助手席でまるくなっていた。誰からも好かれたと思う。20年ちかく私の相棒。


上の右は「太郎さん」ビーグルの特徴がなく、例えば尾が垂れている。身体が黒っぽい。などで引き受ける人がなかった。引き受けに行ったら「一万円ください」と言われて払った。口紅をたくさんつけられた子犬は、奥さんが最後のキスをして、別れがつらいから外出。

その後、一万円でつくられた血統書が届いて驚いた。私は血すじ無関心でも嬉しかった。マムシに二度噛まれ、イノシシのワナに前足を挟まれてズタズタで戻った。若い女性が来たら小屋から出た。20年、私の相棒だった。


下の左は「健太」猟犬の母親から産まれた。イノシシ猟にはじめて連れ出されたとき銃声にパニックになった。使えないので踏んだり蹴ったりの毎日。それを知ったので買った。

落雷や秋吉台花火のときは手におえない。けれども闘争本能はあった。小型のイノシシだったら「健太、行け!」と放したらイノシシを追い散らした。最後は苦しんで往った。それが今でもつらい。


顔が黒かったハッピー。農園生活は11年。防府市で子供7頭と野良犬生活のつわもの。フィラリア陽性も克服して農園で穏やかに老後をすごしている。4月から仲間入りの「ゆきちゃん」の横暴な振る舞いにも耐えている。


昨夜はイノシシ騒動。ゆきちゃんが激しく吠えたので外を照らした。大きなのが悠然と歩いていたので車で追い回して敷地から出した。


配達。朝は暖房で昼間は冷房の月曜日。