他人事ではない認知症

配達先の奥さま「主人のディサービス作品。よくできているでしょう。名前を伏せてもらったら高齢の認知症作品。と紹介してもよいですから」と。


昨夜、NHKテレビ番組で認知症介護現場の人、3人を撮った番組があった。その時間は夢の中、3時に起きたので録画を再生しながら朝の支度をはじめた。つまり、ざっと観た程度。

7年、弱っていく母(96歳でお国替え)と過ごしたことを思い出した。ひとり息子の私を育てあげる母の人生。その私が誰かわからないときがあった「あんたは誰かね」「あんたはキツネ臭い」「帰らんと警察を呼ぶぞ」など、きわめつきは家内に「あんたが来て家が悪くなった」など言葉で暴れまくった。


気分のよいときは穏やかな顔をしていた。私の父親のことはひとつも語らなかった母の口から思い出話が出たあとは「帰りに寄って晩ごはんを食べさせてもったらええ」と笑った。聞けば私の出生のことはいくらでも話す雰囲気だったが、もうそのことに関心はない。


夕方、施設から電話「食事を食べられません」行ってそのわけを聞いたら「今夜は陛下がお弁当を持ってきてくれる約束」とキッパリ言った。


育ててもらった息子として精一杯母とむきあった。さんざん悪く言われたこともあった家内は「病気が言わしている」と。おばあちゃん御膳をつくり何度もさめないように運んで、施設の母の夕食は家内が食べた。


今夜、再生してゆっくり観る。介護は誰もがかかわり、そのあとは自身が誰かのお世話になる。そのことをあらためて認識した。


下関市を走り終えて2時前に農園ゴール。明日は一週間のなかで配達件数とたまごの数。そして走行距離も多い木曜日。明日の鋭気を養っておこうと冷房をつけて寝てもよい。こんな場面で私のなかにタヌキが出てくる「シャワーでさっぱりして缶ビールで昼寝。そうすれば木曜日が楽になる」タヌキを蹴飛ばして草刈り2時間。


タヌキは知らないだろうが、疲れたら熟睡できて夜中に充電完了する。