連日猛暑でバテぎみ

この暑さが身体にこたえている。

昨夜、横浜で造船された空母が初航海で4本の魚雷で轟沈した。その生存した乗組員証言「信濃(2時間番組)」を観ることにした。

大和や武蔵の不沈艦設計をベースに造船がはじまった。そこらで寝ていた。目がさめたら信濃が海面に船首をつきだして轟沈している場面だった。


10数年前になくなられた山口市内のおじいさん。一人暮らしで話し相手がないので会話が不自由になった。配達の度に玄関に腰をおろして話し相手をした。

召集令状が届き山口の連隊。基本的な訓練をしばらく受けて広島。輸送船に乗り込んだ。船で支給されたのは夏服だったので「南方行きか。寒い満州よりええ」と思った。

下関を経て玄界灘で潜水艦の魚雷をうけて沈没。仲間の輸送船に引き揚げられての航海。南十字星が頭上に見える海で再び潜水艦から魚雷をうけて沈没。

重油の海を漂って着いた島で混成部隊に配属された。

とにかく食べるものがなかった。戦闘らしきことはほとんどなかったが下痢と病と飢餓。そこは地獄だった「ボクは食べなかった」と言われた。それを「なんですか」とは聞けなかった。

女房にそのことは話してはいない。長男だけには話しておこうとしたら「もうええ、聞きとうない」と言うた。


引き揚船は船体の腹に爆雷の穴があいていた。横浜に着くまでたくん兵隊が死んだ。横浜から山口までの汽車。大きな川の鉄橋は落ちており川を歩いた。


戦後の日本をよみがえらせた力は、復員した男たち、家族を守った人たち。なによりも日本の繁栄、家族の幸せを願って散った命。とくに今月はそういう人々に感謝をしたい。


山口市内の午前。午後は7度過ぎまでになった。