知らないことはダメなのか

昼寝をたっぷりしたので昨夜は眠れるか心配だった。けれどもいつもと同じ8時前から眠たくなり起きたら4時だった。睡眠が足りて体と頭が壮快を実感した。

ただ、油断して半ズボンで夕方犬と歩いたときブトに左足ふくらはぎを刺された。そこが真っ赤に腫れ上がり熱をもっている。正座ができない。


写真。

使いはじめて2年と半年の愛車。水曜日オイル交換のときエンジンルームの配線をネズミがかじった箇所が見つかった。断線寸前のところもあった。

その対処に防府トヨタの岡本直也さんが来園。明日まで修理になった。


愛車の走行距離は15万キロメートル。一度も故障したことはなく快適に走ってくれる。もうⅠ0万キロメートル走って次の新車になる。


ネズミが配線をかじった。その事を知るまでは毎日快適に走ってくれる信頼の愛車。ところが、配線がいつ断線するかわからないと知って不安の愛車になった。


「知る」ことは大切なこと。けれども「知って」心が、気持ちがざわつく。

その究極を考えてみた。私の命が終わる日を知ったとしたら、その日までの毎日が楽しいだろうか。知らない、わからないことが生きていくなかで必要なことではないのかと思った。


6時前に萩市向けて配達スタート。山口市内まで走り終えて農園ゴール。さっさと昼ご飯を済ませて3時間の草刈。

きょうも元気いっぱい働けた。