中尾さんと早朝の再会!

3時前に起床。すぐにタブレットで雨雲の位置を見てから豪雨ニュースをネットで確認した。南九州全域の自治体と会議録調製の仕事で年間何度も通っていたので報じられる地名や河川はわかるので心配していた。


5時過ぎに木曜日を満載して農園スタート。小月と長府の飲食店、所定の場所にお届けして唐戸魚市場。赤間神宮に車をとめて市場に向かっていたら中尾さんが走ってこられた「おはようございます」と声をかけたら驚いて足を止めた。


20数年前、唐戸魚市場株式会社の専務は松村さん。常務が中尾さんだった。松村専務と私がご縁ができたころ「満州の夕日を見に行ってこんか」と専務からお声かけいただいた。その内蒙古自治区に入るには招かれたという招聘状が必要だった。その手続きをしてくれる案内人(内蒙古大学卒業。日本在住の廣さん)を専務が段取りしてくれて中尾さんと北京。そこからプロペラ機で2時間ぐらいでハイラル(香月画伯のハイラル通信)ここを起点にホロンバエル大草原をロシア国境の満州里(マンチュウリ)まで蒙古族のパオに泊まりながら珍道中をした。


松村専務が感動した地平線にしずむ夕陽「ここはお国のなん百里 離れて遠き満州の紅い夕陽にてらされて」時差は1時間ぐらい立ったが夕陽のしずむ時間は夜中の10時ごろ。それまで蒙古の人と焚き火をかこんで馬頭琴の音色で強い酒をあおり(水がほぼなかった)毎晩泥酔して草むらで蚊にくわれて朝をむかえていた。一度も夕陽を拝んでいない。


財布の現金を全部盗られた。その日から常務にコバンザメのように寄り添って「タバコ」「酒」をせびり尽くした。中尾常務は毎晩宿泊先で葉書を書いていた。それは奥さま両親宛てだった「僕は、出張や旅をしたとき女房の親に簡単な便りを出すことにしている」内モンゴルの田舎で葉書を扱う郵便局をさがしていた。


私がトランクにロックをしないことが気になり中尾さんがダイヤルロックした。私は暗証番号がわからず着替えができないまま旅をした。帰国して家内に暗証番号を聞いたら設定していないのでゼロ4桁で解除できた。


県議会に立候補されたとき、私ができる精一杯の応援活動をした。その後は下関市市長として市政に尽力された。


今年で70歳。海峡フルマラソンを完走したいので今朝は20キロ走っている。先日は松村さんとビアガーデンで飲んだ。また飲みましょうと誘われたが、最近は歳のせいか前ほどは飲めなくなり、前ほど騒がなくなりましたいねと言うと「僕も二日酔いが多くなった」と大笑い。