垣内社長から頼まれた こと

縄文杉までの途中に樹齢1000年以上の杉が2本並んでそびえていた。その見上げる場所が太い枝でドッキングしており「夫婦杉」と看板が立っていた。

太秦広隆寺の境内で根っ子でドッキングしている樹を見つけた。


火曜日は数分たがわず10時にニュースタイルに着くようにしている。何年も前から糸賀社長が私を待ってくださる。その時間に留守をするときは事前に「きょうは留守をします」と連絡がある。

きのう目がさめて「思いついた」「思わされた」こと。


糸賀社長の親友、垣内社長が先月亡くなられた。ブルトーザーのような経営者だった。倒産を繰り返すごとに、次の事業は前より大きくなっていく。辛酸をなめ尽くされたと思うが、その人生でかわらぬものは「掃除」だった。


山口市内の国道ガードレールを、バケツとタワシで早朝に掃除をされていた。私が宇部で掃除をはじめるとき「使いなさい」とアルミの大きな寸胴鍋やガス火口などたくさん頂戴した。


突然亡くなられた父親のあとを長男が継いだ。その垣内さん長男に掃除を紹介したらどうだ。私の解釈では、垣内社長から思わされた(頼まれた)。

10時に糸賀社長にそのことを話した。数時間してメール「長男に電話で話した。あなたにメールが届くだろう」と。そのあと長男から「掃除をよろしくお願いします」のメール。


岡本拓也さんに相談した「掃除の筆下ろしはどこか」彼は「下関」を推した。松村御大(垣内社長ご葬儀で弔辞)に「筆下ろし」をお願いしますと夜に電話をした。

「わかった。来月21日に市内の大学を会場に催すから、前日から泊まりで来るよう連絡してくれ」


今朝、岩国市在住の長男に来月の予定をメールした。すぐに返信が届き「松村様にお願いの連絡をこれからします」だった。


ご葬儀会場で社長奥さまが糸賀社長に「長男をお願いします」と手を握られた。松村御大御大の弔辞も胸にしみた。垣内社長が「ワシの長男に掃除を伝えてくれ」と願われたと思った。


下関からお昼に戻り、これからの時期は雨が多くなるのでユンボと軽トラダンプにスコップで4時間汗をながした。


『売上減をバネに』


 景気が悪く、売上が三割減ったという理由で、倒産した会社があります。


 一方では、売上が四割減ったために会社の結束力が高まり、社内の雰囲気がよくなった、という会社もあります。


 この差は、売上が減ったことを「大変だ」と捉えてパニックになるか「これを機会に会社の体質そのものをよくしていこう」と捉えるかの違いではないかと思います。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)