氷点下で草刈りはじめ

たぶん幼稚園のころ、母が「キジをもらった」と新聞紙にくるんだ小さい肉のかたまりを見せた。その夜は鍋、母はコップ酒をやりながら「美味しかろう」と言うが、肉のなかに散弾の小さな鉛がありキジはいっこも美味くなかった。


晩酌の量を減らして物足りない感覚は通りすぎた。ほろ酔いでも布団に入るとすぐに眠れる。3時までは眠りが持続する。とても気持ちよく目が覚めるが今朝は部屋の中まで冷えていた。トイレや台所の水道管が凍りかけておりガリガリ音がした。4時の外気は氷点下3度。


6時から外に出て凍った作業場の水回りを溶かし、燃えるゴミに火をつけて金曜日がはじまった。

川土手の草刈りは毎年の草刈りはじめ。7時前からはじめた。10年以上使っている愛用の草刈機に25:1で混合油をつくってエンジン始動!一発でエンジンが軽快な音をあげた。

氷点下の草刈りは手の指が痛いほどつめたくなる。我慢の限界になったら草刈機を肩から降ろしてエンジンを両手で包むとすぐに指が楽になる。

川土手を終えて朝食を済ませたら眠くてたまらなくなり床にゴロリで30分夢をみた。


昨夜、新日風土記「四国遍路(再放送)」を録画した。1400キロ歩き遍路に憧れはあっても結願の自信はない。3時から番組を1時間再生して、歩き遍路とお接待の風土に魅了された。薩摩から遍路に来た人が行き倒れ、地元の医者が手当てをした江戸地代の出来事。翌年、外に持ち出すことは禁制のサトウキビ種を弁当に隠してお礼に四国に運んだ。雨量が少ない地でサトウキビは貴ばれ和三盆が特産物になったことを知った。

行き倒れたお遍路を弔う、それもお接待文化として四国地方にのこっている。


行き倒れなかった歩き遍路 松村御大と先達の桂子ちゃんに番組をDVD にして朴の森に行った。

以前、今の耕心の里だけがあった。知る人も訪れる人もなかったが、元氣の里 一隅の里に鍵山記念館ができて、そこに行けば知り合いが必ず居る場所になった。


今朝は藤野先生と岡本さんがおられた。私がDVD を持っていると「無修正かね」と期待がかかる。無修正の新日本風土記を岡本さんに御大と桂子ちゃんに託した。


農園パンフレットを2種類作ろうとしている。ひとつは終わった。もうひとつを考えるために湯田温泉かんぽの湯に行った。

1時間、ぬるめの湯につかり文面と写真をまじえたレイアウト考える予定が、ぬるめのお湯を楽しんだだけに終わった。休憩室で座布団を枕に夢をみた。それでもよい。


『益はなくとも・・・』


 ほとんどの人の価値基準が、得をするか、儲かるか、つまり「益がなければ意味がない」という考え方です。

はっきり言うと、この考え方こそが、いまの日本を駄目にしてきたもっとも大きな要因だと思います。

いまこそ『晏子』の至言、

「益はなくとも、意味はある」

という言葉に耳を傾けるときではないでしょうか。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)