いつか冬の会津に行きたい

あの大津波の日は金曜日だった。防府市内を配達中にラジオが避難を呼び掛ける内容に突然かわった。耳を疑うような高さの津波警報と余震に警戒するよう促すアナウンサーの大声を聞きながら3時に農園に戻り、町が黒い津波に飲み込まれる映像をテレビで見て呆然とした。


翌日、朝6時のラジオでNHK 仙台放送局 相馬アナウンサーが、大槌小学校の被災状況を読み上げるとき声がつまり嗚咽になった。


数日後、市内の松原酒店を訪れた。掃除仲間の店主奥さまは会津が故郷。そのご縁で会津 國權酒造の清酒取扱いをされている。

その蔵元に販売できる酒があるなら、たまごのお客さまにご案内させてもらえないかと相談した。

一升2700円を しんあい農園すべてのお客さまに「酒で支援できます」とご案内した。200本以上のご注文(60数万円)の注文を頂戴した。酒は飲まないばあちゃんが「料理酒に使う」とみなさんの善意が集まった。


5月、思いがけなく國權酒造 社長 細井さま(その後に故人)から丁寧なお礼状が届いた。


版画 冬の会津 斎籐清を画廊の菊川さんと徳山美術館で鑑賞した。ドッカリ降り積もった会津の風景に「雪がよけいなものをつつんでいる」と菊川さんがつぶやいた。

機会があったら冬の会津を訪れてみたい。


『一泊五日の出張』


 高速道路もない時代、鹿児島から青森まで仕事で駆け回っておりました。

 五日間の出張で、宿に一泊もしないときがよくありました。そんなとき、車で仮眠するか野宿しながらの営業でした。

 一年に約八万キロメートル、地球を二周するくらいの距離を車で飛び回っておりました。身体が人並み外れて丈夫だからこそできたことです。

 とにかくよく働きました。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)