垣内さん訃報

涅槃図

釈迦の死を悼み、天界からおりてこられる母上。


きのう夕方、糸賀社長メール「垣内さんが天に召された」9日、唐戸で催された「ふく の会」に垣内さんは参加申し込みされていた。1週間前に肺にがんが見つかって入院の一報がありキャンセルになった。


垣内紘一さん。73歳ぐらいではなかろうか。掃除の会に私がご縁をいただいた20数年前、垣内さんはカー用品 オートサロン グランプリという会社からイエローハットに看板をかえられた。鍵山社長のグループに入られた。

宇部市で掃除の会を始めるとき、山口市に何度も垣内社長を訪ねては掃除の手順や道具について教えてもらった。居酒屋「屋台村」も経営されており、掃除でお湯を沸かすガスの大きな火口やアルミの寸胴鍋など厨房で使わないものをいただいた。


15名で屋久島縄文杉ツアーを計画したとき、垣内社長は夫妻で参加された。我々は新幹線で博多、福岡空港から鹿児島空港そこから空路で屋久島だった。垣内社長は鹿児島空港まで車の方が早いと別行動。

奥さまは1週間ほどウォーキングで足慣らしされて筋肉痛で参加され、往復10時間私が荷物持ちをした。垣内社長はビデオ撮影で列の前に行ったり後ろに行ったり走りまわられた。


九州各地にゲームセンターなど手広くされた。私が長崎出張中に垣内さんに電話をすることがあった。佐世保市のゲームセンターにおられたので立ち寄ったら、ランニングシャツ姿でお店周辺の掃除に汗をかいておられた。


つい最近お会いしたときも「毎日2時間泳いでいる」と言われたので体力に驚いた。


火曜日(12日)、糸賀社長とお会いしたとき入院先の部屋まで教えてもらった。今週の金曜日にお見舞いを予定していた。それが土曜日のご葬儀になろうとは。


『愚痴』


 私の両親は、貧しい中から努力して築き上げた財産を、生涯において三度、すべて失いました。

 しかし、両親の愚痴を一度も聞いたことがありません。自分の親ながら実に立派な生き様だったと感心をしています。

 両親ほどにはなれなくても、私もせめて、自分自身の毎日の生き方と努力の積み重ねで、できるだけ愚痴を言わず、生きていきたいと心に決めています。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)