説明(証明)できない 神様のはたらき

昨夜は下関唐戸で毎年恒例「ふく の会」の18名に私たち夫婦もまじえていただいた。大皿に天然ものの華が咲きそれは二人に一皿。白子に揚げ物、鍋を経由して雑炊、さいごはフルーツ。ヒレ酒飲み放題。


毎年、今村ご夫妻を我が家の車で送迎していた。ご主人が昨年、突然亡くなられたがいつもどおりお迎えに行き3人で往復した。その車中で話された奥さまの言葉をかみしめている。


数年前、私のお客さまのもとで生まれた金魚の赤ちゃんを今村家に差し上げた。たいせつに育てておられたが昨年末に腹を上にむけて、生きているけれど瀕死の状態になった。知り合いが「それは、転覆病といい治すにはお湯を少し入れて金魚に塩をかけたらよい」とアドバイスを受けた。

奥さまは教わったとおりの治療を数日繰り返したら治った。その経過をスマホの写真で見せてもらった。


私ならば「なぜ、その治療で治るのか」と質問をし説明(証明)に納得できたらやるだろう。けれども今村の奥さまは疑いもなくされた。


きょうは岡山県早島教会、玉井光男先生の一年祭が教会で10時半からお仕えされる。9時少し前に岡山駅に到着

。宇野線は9時07分発の連絡を調べていた。ホームに行くと05分発快速マリンライナーが停まっていた。駅員さんに「早島駅は停まりますか」と尋ねて「はい」の返事で乗車した。座った直後に乗り込んできたのは太秦教会長(長女の婿)彼も早島参拝で早朝の京都を発った。


早島に着くあいだ、偶然の出会いと転覆病のことを重ねて彼に話をした。彼が明快に答えてくれた「世の中で説明(証明)できることは僅かなことです。わからないことが多いですが、そこに僕は神様をおいてみるようにしています」と。


早島駅から徒歩で教会に向かった。前を歩く3人の黒服の男性(40歳ぐらい)に「参拝ですか」と声をかけた。話ながら歩いていると「もしかすると金光出版のアダチさん?」と私の素性を言い当てた。今度は私が「どちらの教会ですか」と尋ねたら長門市 正明市教会です。20数年前にこの教会の出版をお手伝いしたことがある。


一年祭に足を運んだ私に「ええか、いつも神様と歩んでおるんぞ」と、玉井先生のサプライズを実感したお参りになった。


『プールに水一滴』


 この四十年間、プールに水一滴垂らすような努力をしてきました。プールに水一滴垂らしても、見た目には増えたかどうかわかりません。

 しかし、少なくとも減ってはいません。間違いなく水一滴分だけは増えている。そんなはかない努力をやり続けてきました。特別な能力を持たない私には、そういう道しか選択の余地が残されていなかったからです。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)