極楽寺 掲示伝道の私はファン

長門市 極楽寺の掲示伝道が2月に衣替え。長門市一帯にこの伝導が張られている。私のようなファンは多いのではなかろうか。


小野にお住まいで、最後は小学校校長で定年をむかえられた平山智昭先生(90歳ぐらい)。「ぼくらが授業の主人公」という本など出版のお手伝いをした。

私が農園をはじめるときは地域の人たちに私を紹介して歩いて下さりご恩がある。


退職され郷土の歴史を根気強く調査された。小野の各地、山々を踏破され神社関係38。仏関係39。墓・石碑・歴史26を地図におとされた。

地域をめぐり、山々にもわけいり山伏の修行跡や分教場の跡なども発見された偉業だと思っている。

調査の過程で「言い伝え」を古老からたくさん聴取された。そのなかに毛利秀就の誕生地は小野だった。という言い伝えに出会われその調査をされて「謎」を確たるものにされた。現在、その地に記念碑が建立されている。


その毛利秀就について内田鉄平という宇部フロンティア大学特命教授・歴史学博士が地元紙のコラム「古里歴史よもやま話 31」で 伝説が誕生するまでのいきさつをのべられ、平山先生の説をふまえたうえで「伝説」と結論付けられた。


以前、邪馬台国は長門市俵山にあったとする自費出版のお手伝いをした。ご当人は真顔でその説をのべておられた。


墳墓についても「説」の域を出ないものが多くある。歴史にはロマンがある。

ご高齢の平山先生、心中は穏やかではないと思う。近いのでご機嫌うかがいに行ってみよう。


『見返り』


 いままで、かなり努力したつもりでも、報われないことのほうがほとんどでした。しかし、それでいいんだと思います。それが自然の姿だと思います。

 一人でも多くの人が、見返りばかり求めず、努力そのものに意義を見出せるようになれば、世の中はもっと穏やかになると思います。

現代人が豊かさの中で、幸せを実感できないのは、努力以上の見返りを求めるからです。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)