長文になりました

農園落成式は2000年7月20日に行った。

小野ふれあいセンターのホールで歌手 梅原司平コンサートを催し、会場を農園に移し約200人お集まりくださり賑やかな催しになった。


夕方、岐阜県から掃除に学ぶ会の田中義人さんが農園に到着された。皆さんと歓談している部屋に入られたとき「あっ!」と声をあげられた。


画家 石原忠幸展覧会が7月1日から20日まで菊川画廊で開催された。落成式の準備で慌ただしいなか19日に画廊を訪れた。

石原先生が喜んでむかえてくださった。多くの作品のなかで2階にかかっている作品に私を案内してスケッチに行ったときの思い出を語りはじめられた。


描いているとおばあさんが話しかけてきた。息子さんは、絵と写真が趣味でよく風景を描いていた。交通事故で亡くなってしまったが、年齢はちがうけれど、絵を描いている私を見て息子を思い出した。なにもないがわが家で食事をいただいてくれないか。

作品がほぼ完成するまで現場に通いつづけ、おばあさんとのお付き合いがあった。


先生、この作品の現場はどこですかとたずねた。岐阜県恵那市だとこたえられた。

先生、そのおばあさんの名前は土方さんではありませんかとたずねた。


先生は茫然とした顔つきに変わり「どうして土方さんの名前が」私も身体中に鳥肌がたったような気がした。

この作品を2日ほどお借りした。


半年前、伊勢神宮 月例祭に参拝してトイレ掃除の会があった。全国から20名近くの参加者に私もくわえていただいた。五十鈴川での禊など厳粛な参拝を終えてトイレを鍵山先生ご指導で磨きあげた。


閉会式。この催しに参加した各自のおもいをのべる場になった。岐阜県恵那市から参加された田中夫妻、奥さまが発表のとき涙で声にならなかった。かわりに主人が「家内の弟は東京の報道関係で働いており、この伊勢神宮月例祭を収録に来ました。その帰り、名神高速で交通事故で亡くなりました。家内は弟が最後に仕事をした現場に足を運ぶことが目的でした」と。奥さまの旧姓は土方と私は知っていた。


「あっ!」と声をあげた田中さん。この風景は家内の実家の近くですよと驚かれた。石原先生とおばあさんの物語りを話した「とにかく、この作品は持って帰り母にプレゼントします。お金は後日画廊に送金します」と大切に持って帰られた。


そして27日に梱包された作品が私宛に届いた「母は驚き、大変喜びました。けれども作品は足立さんの手もとに置いてもらってほしい。息子の(土方邦順の追想集)を添えておくので、農園に来られた人や多くの方にご覧になっていただき息子を偲んでもらえたら嬉しい」と手紙が添えられていた。


この春、鍵山先生にたくさんのお礼を申し上げに上京を計画している。伊勢神宮に声をかけていただいたこともお礼のひとつ。この冊子をお見せしたい。


『「志」の定義』


「志」の定義として、これを欠かしたら「志」とはいえないと考えていることがあります。

一つは、「志」に向かって行動していく過程で、人を感動させることができているかどうかということです。

もう一つは、みずからも感動しつつ、それを継続できているかどうかということです。この二つがないと、「志」とはいえないと思います。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)