24年まえに思いを馳せる日

24年前、屋久島を歩いたときの一枚。翌年は松村御大たち15名と再び屋久島 縄文杉に行った。


神戸市兵庫区の浜山小学校避難所にお手伝い(当時、災害ボランティアという言葉はなかった)に行ったのは1月19日。水道・電気がとまり、近くの長田区菅原市場はまだ燃えていた。

校舎2階の音楽室を私の住居として4月末、小学校避難所を閉鎖するけじめの復興祭まで避難者のみなさんと生活をした。

姫路や大阪は変わらぬ生活を営んでいるとき、神戸は子供のミルクがない。トイレが使えない。洗面の水がない。食べるものがない。寒い。どん底を1週間ちかく体験した。


そこでは、報道されない暴力や略奪もあった。その反対、人間の底力をたくさん垣間見た。


全国から支援物資が届きはじめたころ、届いたオニギリがいたんでいた。少し糸をひくようなものがあった。それを除けたら千数百人の夕食が行き渡らない。躊躇している私に花屋のおばさんが「ええから配り」とうながした。

配ったあとは想像していたとおり男たちが「喰えんものを配った」と関西弁で怒鳴り込んだ。

花屋のおばさんが目にいっぱいの涙をためて「つくった人の気持ちをうけとってくれんか」と男たちに言った。あの場面を忘れない。


神戸を終えた夏に屋久島行きをした。


『三つの言葉』


 高崎市立長野小学校四年一組の鈴木順子さんが、私の思いを次の三つにまとめてくださいました。

(1)よいことをすれば、人に好かれる

(2)よいことを進んでやれば、人にあてにされる。

(3)よいことを続けてやれば、人から頼りにされる。

 この三つが守れれば、年齢に関係なく立派な人間になれると思います。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)