長州藩の歴史がおもしろい

早朝、小雨の萩市内の配達を終えて堀内の菊屋家に立ち寄った。予想どおり立派な門松だった。


「散策シリーズ」は堀内・浜崎と長府の3回を終えた。今年は明倫学舎90分コースもしくは120分コースで観光ボランティアの方と打ち合わせを始めたいと思っている。お昼に終わる時間配分にして、レストランも予約しておけばいっそう楽しくなろう。


大村益次郎がNHK 歴史番組でとりあげられ録画していた。今朝2時に目が覚めたのでみた。幕府の長州攻めに近代戦法と武器で圧勝した作戦の指揮をとった。


その番組で少し紹介された「長州戦争」が私は気になった。幕府に恭順する長州藩に「攘夷」を旗頭に蜂起した奇兵隊が雌雄を決した長州藩の内乱。

このときお殿様 毛利敬親公は、ほんらいなら軍配をどちらかにあげて内乱にいたらぬよう采配する。けれども武力衝突になった。そのとき敬親公はどうだったのか。


美祢市は9時に到着「よしの」にその疑問を「教えてください」と立ち寄った。うどんの手をとめて、殿の意向は示されていない。と解説してくれた。一見頼りないと思うが「結果の責任はワシがとる」という腹構えだったのではなかろうかと私は思うことにした。


ついでに前原一誠「萩の乱」についてもざっくり解説してもらえた。


『本当のムダ』


 掃除を始めたころ、「おまえのやっていることは、ざるで水をすくっているようなものだ」とよく言われ、ムダであることを指摘されました。

 しかし、私から見ると周囲の人のほうがそのような生き方をしているように思えました。現に、バケツで汲んだ水をざるに注ぐようなムダな会社経営をしたために、多くの会社が消えていきました。それこそ、ムダというべきでしょう。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)