原 留男さんの訃報

雲仙普賢岳が噴火したとき、島原市内に金光教肥前島原教会があるから取材に行ってくれと、全国の信徒で発行している月刊誌から頼まれた。


土石流などで立ち入り禁止地域の信者さんたちの避難先に取材に赴いた。そのとき出会ったなかに身体障がいの人たちと生きていた原留男さん。当時は島原半島にたくさんの縫製工場がありアイロンプレスの仕事があった。

無認可のアイロンプレス作業場をつくり、10数名の人と仕事をしていた。

以後、毎月のように島原通いをして長年お手伝いをした。そのご縁で長男はその作業場に月給10万円で就職した。嫁さんも島原で縁ができた。


縫製が人件費の安い海外に移り、仕事がなくなり作業場は閉鎖。長男は夫婦で宇部にもどり農園で働いている。


原さんは終戦の前、特攻隊に志願して島根県美保基地に配属されたが、すでに飛行機がなく柳井で回天搭乗訓練中に終戦になった。


母親が釜山にいたので博多でヤミ船に乗り込み迎えに行く途中、対馬比田勝沖で荒天で転覆。何人かとロープで身体を繋いで原さん先頭で嵐の海を泳いだ、ロープを掴みにきた溺れた人の指をロープから外した。助けた婦人が現金を持っており比田勝で漁船を雇って釜山に着いた。


戦後は障がい者(児)教育にかかわり「島原に原あり」と長崎県では知られた。


その原留男さんが昨夜、91歳でご逝去された。葬儀は近親者のみでされるとの一報。

5年前、具合が悪いと知らせがあり島原日帰りをしたときの写真。

ご冥福を祈りたい。


12月2日、長府散策を計画しています。午前10時集合、お昼に解散の予定です。

下関市内に用事があり、帰りに長府の下見を済ませた。


『幸せになる方法』


 傲慢な人、横柄な人が周囲の人々に迷惑をかけています。

 共通点は、自分だけが贅沢をし、自分のわがままを押し通している点です。

 人に迷惑をかけて、自分だけが幸せになることはありません。

 幸せになるには、人の喜ぶことをすることです。相手が喜んでいる姿を見て、わが喜びと受け止められるような人間になることです。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)