母の夢をみた

母が逝って3年。昨夜はじめて夢をみた。そのストーリーは覚えていないが笑顔は記憶に残った。

毎月23日は太秦教会で霊祭が仕えられる。母もふくめて太秦教会にまつられている多くのご先祖様のお祭り。母がまつられてから毎月お供えを宅配している。きのう、家内が品々を梱包してくれたのでヤマト便から出した。それを喜んでくれたのではないかと解釈した。


今朝6時半、岡本家の配達。立派な病名をいただかれ、先日も高熱が続いて入院され元気に退院されたお母さんと会話を交わした「私は主人の夢をしょうちゅう見ている」その理由は「はよう、こっちに来いや」と解釈されているらしい。まだまだ行けそうにない。満面の笑みを撮らせてもらった。


小学生のお子さんふたりのお母さん。回転寿司店のパートタイムで家計を助けたいと働きはじめた。

ところがお昼前の自宅に車があった「おじちゃん聞いてぇや」と玄関から出てきた。

子供さんが下痢や発熱の病気になったら、決められた日数出勤停止の規則があるので働けない。職場でトイレにいくと数々の衛生マニュアルにしたがい殺菌消毒があるのでとても面倒。パートタイム募集で採用された人もどんどん辞めてしまうので常に募集をしている。彼女も思った収入の半分にも満たないので転職先を探しているらしい。


『理想と現実』


 理想と現実には大きな差があります。

 この差を埋めるために、私たちはしばしば苦心します。

 理想は理解できても、理想に至るための方法が見つからないからです。

 頭だけでものごとを考えていると、ますます堂々巡りになり、結局何も為されないことになります。

 その点、掃除をしていると、堂々巡りから解放されることがよくあります。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)