健太の命日

健太は猟犬として生まれたが、鉄砲の音が苦手で猟に使えず猟師さんのところで邪魔な存在だった。ずいぶん辛い思いをしながら片隅で生きていることを話した人がいた「買ってきてくれんか」と一万円を渡した。翌日、軽トラの荷台に繋がれて農園に来た。


人間不信の態度は目付きや態度でわかった。最初に排泄で散歩に連れ出したとき、便のなかにたくさん寄生虫がうごめいており驚いた。

12年、農園で過ごして逝ったのが7月29日。いろいろ病気が悪化して、3日ぐらい前から食べなくなった。28日に安楽死を獣医に頼もうとして抱こうとすると歯をむいて拒んだ。朝までもたないと思った。動物に殺されてはいけないのでハッピーを側につないで朝をむかえた。


朝、硬直した健太は、楽に逝ったような顔つきではなかった。その姿を誰にも見せたくないのでユンボで穴を深く掘り、私のシャツでくるんで土をかけた。6時のサイレンを聞きながら。


台風一過の言葉にならないような穏やかな台風一過。

農園では正志がいろいろ対策に忙しくしていた。一番の対策は7トン飼料タンク。沖縄からあがってくる台風の場合は事前に7トン満タンにして重量で4本の足を固定する(風で多少揺れたほうがよいので あえて固定していない)。今回は不意をつかれた進路でタンクには3トンしか飼料が入っていない。

万一、このタンクが作業場(2階は私の住居)に倒れたら被害は甚大になる。正志なりに考えたタンク対策は、私から見れば幼稚な造作だったが口をはさまなかった。


台風が一段落したときに口をはさんだ。

例えば交通事故。自分では「いける」「安全」という気持ち。山で遭難した人は下りたら大丈夫。など自分に都合のよいシナリオを描く。このタンクの対策もそのシナリオではなかろうかと。


『余裕のある掃除』


 会社に余裕があるから掃除ばかりしておれるんだ、と言われることがあります。たしかにいまでこそ、それほど資金に追われるようなことはなくなりました。しかし、かつての当社は銀行に日参する資金繰り状態でした。

 けっして会社に余裕ができてから始めた掃除ではないんです。苦しいときから始めたからこそ、現在の当社があると思っております。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)