節目の母を3年祭 うるわしく仕えた

今年、玉井光雄師の葬儀に太秦教会長(照美さん主人)から声をかけられ、金光教教師を志すきっかけの一冊「苦楽を共に歩むもの(玉井光雄)」を読んだことを知った。彼はそれを私が世に出したことを知った。


この度の太秦参拝。書棚に「いのちが承服せねば(内田守昌先生教話集)」があった。25年前、金光教教学研究所の佐藤光俊所長から「青年教師時代に信心を育ててくれた恩師の出版をしたい」と声をかけられた。表紙デザインは山口市内のデザイン会社に発注した。何度も佐藤先生が推敲と校正を重て出版まで時間を要した思いでがある。

私も仕事として何度も読み込んだ作品。思い出深く太秦滞在中に読んだ。とにかく驚いた、内田師は昭和32年に太秦教会長に就任されていた。偲び草はここで終る。


師が亡くなられ後継者を求めていたとき、現教会長(照美さん夫婦)が腹を決めて後継に入っている。


教会長と酒を酌み交わして信心話をした。

出版を手がけていたとき、全国各地の教会で奇跡のような話が伝承されていることを知った。

山口県にはじめて布教にこられた杉田という師が由宇に布教をした。師がなくなり葬儀のとき棺桶のふたを下から持ち上げて「もう3年修行してこいと神から言われた」と再生の話が伝わっている。それを「どう思うか」と聞いた。

太秦の先生は「あると思います」例えば、阪神淡路の震災で亡くなった人の数は言うけれど助かった人の数は知らない。そのなかには奇跡としか思えない助かりかたをした人はたくさんあると思う。

また、たくさんの検査数値から医者が判定してもその通りにならないこともたくさんある。

つまり、祈りのなかから、もしくは知らないうちに神様が手をさしのべてくださることを感じる力が大切ではなかろうか。


母と照美さんが太秦でお世話になる。そのことで私の信心が問われる場面がたくさんある「おかげ」とはこういうことかもわからない。


朝、太秦を発つとき先生に「2年後、母の5年祭にあわせて農園20年のお礼もさせていただきます」と申し上げた。


『自然農法』


 掃除をすると、不思議と会社の雰囲気が変わってきます。社員の意識が変わってきます。日常の不平不満が感謝に変わってきます。

 掃除をすると、自然農法で育てられた農作物みたいになるんだと思います。自然農法か化学農法か、作物を見ただけではわかりません。しかし、たしかに味が違う。もちが違ってくるのです。掃除にもそんな力が秘められております。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)