京都の家族たち

金光教太秦教会の大祭は昨日うるわしく仕えられ、台所奉仕の家内は2泊した。

今朝は妙心寺と仁和寺のあいだに母が祀られている教会奥城(金光教では 奥城・神道では奥津城と表記)に参拝。仁和寺山門で撮った写真が9時に届いた。

左から長女の照美さん・家内・大輝(小4)・美花(高1)・正美(小6)

照美さんは介護福祉士。大輝はサッカー少年。美花はブラスバント(サックス)・正美は相撲と吹奏楽部。


最近、愛犬の夕方散歩をやめて放していた。もともとが野良だったのでマムシなどから身をまもる術は心得ている。走っていてもヘビがいたら跳躍して踏まない。ダニ駆除の投薬も済ませている。けれども昨日は大いにカラダを汚して帰宅した。もうリードで歩こう。


例えば身近な人が深刻な病になったとしたら「全快を祈ります」と私は言えない。その方の寿命があるのに、祈られた神様や仏様に「結局おかげにならなかった」と不満がのこる。その祈り方とは別の祈りがあると最近ずっと反芻していた。

私が「師」と仰いでいたお方は今年お国替えされた「あのなー、私が拝んでいる神さまは全知全能ではないのぞ」と何度も私に言われた。

要は、そのような場合にどう神仏に手を合わせるか。また本人に「ご快復を祈っております」の社交辞令を言わずに言葉をどうかけるかを考えていた。


太秦教会長(照美の主人)も私の「師」を「師」と仰いでいたことが師の葬儀の場でわかった。彼に電話をした「全知全能ではない神さまに、どうお願いしすることが祈りになりますか」と「お父さん、僕は師匠から教えていただいた祈りは」とズバリ私が求めていたことを話してくれた。

午後の2時、小野田市で天地が開けたような心持ちになった。