次女の真砂恵さんと子供です

農園に昨夜来てくれた真砂恵さん家族(主人は外でホタル族)。イノシシ料理は、焼き肉・すき焼き・竜田揚げになった。

腹一杯になって農園をあとにする真砂恵さんにお米・ビール・パンにお菓子などを家内は持たせた。慌ただしいなかで家内は嬉しかったのだろう。


月曜日の配達は岡本家からはじまる。7時前に着いたらお母さんが玄関の戸をあけて待っておられた。昨日のタケノコ掘りご指導のお礼を申し上げたあとに「先日、鹿児島に旅行されてからお元気になりましたね」と申し上げた。


入退院を繰り返し、見た目にも衰えを感じていたが、かなり元気を取り戻された。タケノコ掘りの陣頭指揮をやろうという気力がよみがえった。

私の母もベツド生活のなかで「トイレは行く」とオムツを拒み、時間をかけてトイレに通った。96歳、最後のころ気力がすっかり萎えて逝った。


タケノコ掘りのあと、竹やぶ側の墓地に合掌して「お父さん、まだ側に行けません」と声をかけられた。


学徒動員で戦闘機の組み立てをされたお母さんは知覧の参拝だった。それを果たされてよかった。

私の母も、私が沖縄遺骨収集奉仕に通っていたころ「私も行きたい」と言うので参加させた。収骨されたご遺骨をブラシできれいにする奉仕をした。

あの戦争を生き抜いた人の背筋はどこかちがう。