伝統・文化としての女人禁制

9日(月曜日)、美祢市の小杉で旗が目にとまった。長州と会津の紋が染められていた。

戊辰戦争に小杉からおもむいた長州藩士 楢崎頼三が飯森山で自らの刃で傷を負った会津白虎隊士 飯沼貞吉を連れ帰り養育した。その楢崎家に「恩愛の碑」が建立されている。その碑を会津の方々が8日の訪れる催しがあったと旗のわけを聞いた。


6時前に農園を出て萩に向かうときは曇りぐらいだったが、40分後に萩市内を走るころには暴風雨になっていた。山陰本線「東萩駅」~「益田駅」間はそのため運休していた。

先週の土曜日も雨と風が強く、日本海沿いを高架橋で走る山陰自動車道路は風でハンドルをとられたり車体が揺れるので旧道の山越えルートを走った。今朝もその道を長門市まで迂回した。


土俵に女性が上がったことに賛否両論ある。救命処置でのことをそれでも駄目と言う人は少なかろう。

農園に隣接する山には地域の皆さんが植林して大切に管理されている共有林がある。年に何度かみなさんで山に入り作業をされた後は親睦会があるようだ。その仲間に新参ものは入ることはできない。

宮中や神社仏閣でも伝統(しきたり)が数々あり、そこには古来からの理由がある。


私の孫娘は太秦小学校の相撲部で活躍している。県内のどこだったか神事で「女相撲」があったような気がする。女人禁制の境内地とかいろいろある。

このことで女性蔑視の国だと外国メディアが報じたところもあるようだが、文化と伝統を大切にしていることを軽く批判するのはどうかと私は思った。