読みたい「知らなかった僕らの戦争」

きのう店休で所定の場所にお届けした下関市内の飲食店などに月末の集金にうかがった。日の山公園は眼下に桜と関門海峡が見渡せる絶景の桜スボット。ロープーウェイ駐車場は交通整理の方が動員されていたが運良くスペースが空い海峡の桜を満喫できた。機会を見つけてホーム画面に載せます。


帰り道に下関市美術館の周辺を散策した。ペガサスが快晴の空に映えていた。


今朝8時からラジオ「すっぴん」で源ちゃんの現代国語を聴いて運転していた。20分ごろ関東地方の強い揺れで番組が「地震速報」になったので現代国語は尻切れトンボになったが話題のテーマは信号待ちでメモしておいた。

アーサー・ビナード著「知らなかった僕らの戦争」を高橋源一郎先生が解説されていた。ぜひ読もうと思ったことは、戦争中にアジアの戦地で住民虐殺の罪で軍事法廷。B級戦犯として10年以上も現地で重労働を課せられた元日本兵を著者がインタビューした記述。


🔶当時の軍事裁判は、例えば住民が「タカハシが殺した」と訴えたら、証拠調査などは省略して兵隊のタカハシが罰せられる。ぐらいの裁判であった(私の認識)🔶


刑期を果たした元日本兵が「お国のために戦地に赴いた結果を個人が償うのが戦争です」この解説に戦争がハッキリ私は理解できた。読んでおきたい一冊。


ラジオ。先日リスナーの方が幼少の思い出を寄せられた。駄菓子屋のかたすみには鉄板があり、おばちゃんがお好み焼きを焼いた。熱々のお好み焼きにソースをハケでつけて新聞紙にくるんだ。帰り道で座ってモヤシがたくさんのお好み焼きをを食べた。


「昭和あるある」の投稿だった。国鉄の「琴芝駅」近くで母と暮らしていたころ駄菓子屋は2軒あった「ばあさん屋」と「おばさん屋」そこに集まる子供の色分けだった。わたしは「ばあさん屋」派、そこには焼き芋の釜があったが小遣いで買えなかった。店の外で焼き芋を食べた皮を拾って食べたことがあった。それを母に告げ口した仲間がおったらしく母の逆鱗にふれた。血が口からこぼれるぐらい叩かれた。その時の母の涙を覚えている。

新聞紙のお好み焼きで母を思い出した。