春の京都 母にあいに

3年前の6月、96歳で命の故郷に還った。ひとり息子の私でさえ、私が生まれる前の母の人生は知らない。

終戦後、生きていくために交換手の資格をとり山大工学部で電話交換手に就いた。まもなく自動交換器の時代になり配置転換は用務員。草刈りや掃除が仕事になった。30数年奉職して私を育てあげてくれた。


写真は約20年前、下関市の浪花で母の誕生祝いをした。大将がカウンターの中から記念撮影してくださった。母が「あの料理はおいしかったと」と記憶に残った。


早朝から萩市方面に向かいお昼前に農園に戻った。山口市で給油を済ませて新山口駅。新幹線口の駐車場はすべて「満車」の午後1時。在来線口にある駐車場も「満車」CO・OPのお客さま駐車場が目にとまり入庫。料金はわからないが21時に営業を終る貼り紙があった。3階まで満車で屋上に数台の空きがあった。隣にご婦人が止めたので「はじめてです。料金ご存じですか」と聞いたら私と同様、新幹線口がすべて満車でここにたどり着いた「指定券なのでダッシュします」とかけ出した。

広島まで「こだま」それから「のぞみ」で京都駅。日ごろイノシシやタヌキにサルを見ているので、駅の人波に押されて疲れた(今朝、農園のオリに体重30キロぐらいのイノシシが入っており、猟師さんに連絡して現場で処分された。メスだった)


太秦教会に着いて近くの銭湯。銭湯が健在ということは風呂をもたない家が多いのではなかろうか。


照美さん家族5人と先代の先生(おばあさん・この後継に照美家族が赴いた)それと私の7人。家内が宅配した「瓦そば」16人分と農園で調理した大量の牛肉・錦糸たまごなどが今夜のメニュー。それでも育ち盛りの子供3人には足りるだろうか。明朝はフランスパン特大3本とバターなどを宅配に添えているらしい。


明日は早起きして、一人で母の墓にお参りに行く。霊祭は午後2時から仕えられるので、春の京都を歩いてみたい。