神戸の日

2年前の9月に泊まりに来た 牧さん(現在48歳・独身)

彼は世界中をスマホの翻訳機能を駆使して一人旅を楽しんでいる。メトロポリタン美術館やマウリックハイス王立美術館の作品を数点私に届けてくれている「真珠の耳飾の少女」などブログに載せていきます。

海外美術館ではフラッシュを使わなければ撮影できると彼が教えてくれた。


彼とのご縁は23年前の神戸市兵庫区浜山小学校避難所。当事の私は、市町村議会会議録の調製をおこなう会社を経営しており、会社には毎週2日戻るペースで4月末に避難所が解散される復興祭まで滞在して運営のお手伝いをした。

牧さんはマグロ船乗組員をしていた。次の航海前に神戸が被災したので、知り合いは神戸にいないが手伝うことがあるだろうと大型バイクで着いたのが浜山小学校。


彼の出身地は宮崎県。私は九州各地で仕事をしていたので宮崎弁は理解できるし話題も多く友だちなった。


避難所の滞在中ではたくさんのドラマがあった。なかでも胸が張りさけそうな気持ちを覚えた場面。

日本中の消防車やパトロールカー、ゴミ運搬車などが働いた。電気の復旧が始まったころ倒壊や半壊した家屋で電線ショートで火災が随所で発生した。消防隊員は疲労でホースを担いで走れない、けれども延焼するわが家の住人たちは、走ることができない隊員に罵声をあびせた。その住人の気持ちもわかるから涙がこぼれた。


山口市のゴミ運搬車をみた。任務を終えてバトンを渡して戻るときは神戸のガレキを満載で山口市に帰る。霊柩車も各県のナンバーだった。遠くは岡山の火葬場まで走ったと聞いた。


避難所に無料電話か設置されると外国人が列をつくった。神戸に行けば「食える」とホームレスの人も集まったらしい。混沌とした4ヶ月を神戸で生活したことは私の宝物。


被災20年のとき、牧さんと神戸で合流して早朝の慰霊行事に参加した。その前夜は寒かった、三宮で飲もうと落ち合った。とりあえずコンビニでワンカップ酒をレンジで熱燗にしてオデンで立ち食い。

景気をつけて街を歩いていたら、花屋の兄ちゃんが牧さんの前に飛び出した「九州どこですか!」久しぶりに耳にしたコテコテの九州弁が懐かしかったらしい。


先日、彼が泊まりに来てくれた。家内の正月料理を喜んで食べた。神戸が結んだご縁。